【准勅祭社】

2016年4月23日 (土)

王子神社

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おうじじんじゃ。東京都北区王子本町にある。

旧称王子権現。この一帯の「王子」という地名の由来である。

旧准勅祭社。

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創建は不詳である。康平(1058-1065)年間に、源義家が奥州征伐のおり、当地で金輪仏頂を修法、凱旋の日に甲冑を奉納した。

文保(1317-1319)および元弘(1331-1334)年間に、当地の領主豊島氏が社殿を再興し、熊野新宮の浜王子より「若一王子宮」を改めて勧請・奉斎、王子神社となった。

明治初期に准勅祭社に指定された(※准勅祭社の制度はすぐになくなった)。

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昭和20年(1945) 戦災で社殿を焼失した。昭和39年(1964)、昭和57年(1982)の二回の造営を経て社殿を再建した。

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関神社

主祭神は、蝉丸公(神霊)、逆髪姫(神霊)、古屋美女(神霊)を祀る。

「蝉丸公」は延喜帝の第四皇子、髪の毛が逆髪である故に嘆き悲しむ姉君「逆髪姫」のために侍女の「古屋美女」に命じて「かもじ・かつら」を考案し髪を整える工夫をしたことから「音曲諸芸道の神」、「髪の祖神」と崇敬を集めていて、「関蝉丸神社」として、滋賀県大津の逢坂山に祀られている。

その御神徳を敬仰する人達が「かもじ業者」を中心として江戸時代に奉斎された。

昭和20年(1945) 戦災で社殿を焼失した。昭和34年(1959)5月24日、全国各地の「かもじ・かつら・床山・舞踊・演劇・芸能・美容師」の浄財により再建を果たした。

※以上、文章はWikipediaより抜粋・編集

立て札の「髪の祖神」や「毛塚」のほうに目が行ってしまう。

王子神社は東京十社参りで3年前に一度お参りした。空襲で一度焼けてしまい、再建に時間を要したようだが、立派な神社になって祭祀が続けられている。

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2016年2月27日 (土)

大国魂神社

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おおくにたまじんじゃ。東京都府中市にある。

武蔵國総社。旧官幣小社。現在は神社本庁の別表神社。 東京五社の一社。六所宮とも呼ばれる。

ご祭神は武蔵国の総社として、当社創建当時の武蔵国一之宮から六之宮まで(通称:武州六社明神)を祀っている。

中殿に、大國魂大神 (おおくにたまのおおかみ、主祭神で大国主命と同神とされる)、 御霊大神 (ごりょうおおかみ)。

さらに、国内諸神を祀る。

東殿

一之宮:小野大神 (小野神社、東京都多摩市)。

二之宮:小河大神(二宮神社、東京都あきる野市)

三之宮:氷川大神(氷川神社、埼玉県さいたま市大宮区)

西殿

四之宮:秩父大神(秩父神社、埼玉県秩父市番場町)

五之宮:金佐奈大神(金鑚神社、埼玉県児玉郡神川町)

六之宮:杉山大神(杉山神社、神奈川県横浜市緑区)

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社伝『府中六所社伝』に記された伝承によれば、景行天皇41年5月5日に大國魂大神がこの地に降臨し、それを郷民が祀った社が起源という。

その後、出雲臣の祖神である天穂日命の後裔が武蔵国造に任ぜられて、社の奉仕を行って以降、代々の国造が奉仕してその祭務を行ったと伝えられている。このときの社号は大國魂神社であった。

大化元年(645)の 大化の改新時、武蔵の国府が社有地内に置かれて社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する社となった。

国司が国内社の奉幣巡 拝・神事執行等の便により国内諸神を配祀し、武蔵総社の起源になった。このときに社号は武蔵総社となった。その後、武蔵国内の著名の神、六所(6社の神)を奉祀して、社号が武蔵総社六所宮と変わった。

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康平5年(1062)、前九年合戦平定の際に源頼義・義家父子が、欅の苗千本を寄進した(現在、国の天然記念物)。「馬場大門のケヤキ並木」の起源になった。

寿永元年(1182)、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、政子の安産の祈願が行われた。文治2年(1186)源頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営した。

貞永元年2月(1232)、執権北条泰時の代で社殿の修造が行われた。 天正18年(1590)8月に徳川家康が江戸へ入城してからは、 武蔵国の総社として、社領500石が寄進されて社殿及びその他の造営が行われた。

正保3年(1646)10月、類焼により社殿が焼失が、寛文7年(1667)、徳川家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。

明治元年(1868)、勅祭社に準ぜられた。明治4年(1872)、社号を大國魂神社に改称。

明治7年(1875)に県社、明治18年(1886)に官幣小社となった。

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2回目のお参りで、この日は初参りの家族連れの姿があった。

通常の参拝客も多く、人々の崇敬が厚い。

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2014年2月19日 (水)

荏原神社

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えばらじんじゃ

元品川総鎮守。

創建は元明天皇の和銅2年(709年)の9月9日、奈良の丹生川上神社より高龍神(龍神)を勧請したことに始まる。

この由緒は立派だなあ。丹生川上神社は渋い。いつかは奈良周遊してお参りしたい。

さらに、長元2年(1029年)9月16日に神明宮、宝治元年(1274年)6月19日京都の八坂神社より牛頭天皇を勧請した。

品川の龍神様として武家の信仰を集めた。

したがって、古くから天王社、貴布禰大明神、品川大明神と称していたが、明治八年荏原神社と改称した。

品川の総鎮守であったため、当時の荏原郡(品川、大田、目黒、世田谷)の名を冠した。

明治初期に一時的に制定された准勅祭社である品川貴船社の論社のひとつである。

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現在の社殿は弘化元年(1844年)の建立。

 

京急の新馬場駅のすぐ近くにある。地図を見たら宿泊した大崎駅からも歩いて来られそうな距離だったな。

この駅は羽田空港を使うときに通るのだが快速電車は停まらないので、日頃降りる機会がない。今回は午前中に用事が済んだので時間に余裕ができた。品川駅で各駅停車に乗り換え、寄ることにした。

山手通り沿いの品川図書館の裏側にあり、図書館のビルを抜けるか、目黒川沿いに歩いていくと着く。山手通りには面してないので要注意。

昨年、大國魂神社東京十社鷲宮神社と、元准勅祭社の十二社をお参りしたが、このお社も品川貴船社の論社なので、いつかはお参りしなければと思っていた。

品川貴船社のもうひとつの論社で東京十社に加えられている品川神社も、新馬場駅のすぐ近くにあり、そのとき一緒にお参りすればよかったのだが、荏原という名前からすっかり荏原にあると思っていて、こんなに近くにあると思わなかった。迂闊である。

社務所は開いていなかったが、社家の方が雪かきをしておられたので、ご朱印をいただいた。

久しぶりに天気に恵まれ、鳥居の脇の桜が満開であった。

春が近づいているのだ。

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2013年12月 8日 (日)

鷲宮神社

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わしのみやじんじゃ

ご祭神は天穂日命、武夷鳥命(天穂日命の子)、大己貴命。

神代から続く関東最古の大社とされている。

また、お酉様の本社とされている。

天穂日命が東国経営のために武蔵国に到着した際、天穂日命のお供として同行した出雲族27人の部族と地元の部族が当地の鎮守として大己貴命を祀ったことに始まると社伝では伝えられている。

その後、日本武尊の東国平定の際に、別宮を建てて天穂日命と御子神の武夷鳥命を祀ったといわれる。

別名の「土師の宮(はにしのみや)」から、崇神天皇の時代に河内国から東国へ移住した土師氏が先祖を祀ったのが起源とする説もある。

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右側が本殿。左側が拝殿。

境内がかなり広く、拝殿が参道と直角の方角に向いている。

埼玉県久喜市にある。

これで東京十社大國魂神社と合わせて、旧准勅祭社へのお参りができた。

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2013年9月22日 (日)

東京十社巡り

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とうきょうじっしゃ。

wikipediaの「東京十社」の項目にはつぎの神社が記載されている。

根津神社   (根津権現)  

芝大神宮   (芝神明宮、飯倉神明宮)  

神田神社   (神田明神)  

日枝神社   (山王権現)  

亀戸天神社  (東宰府、亀戸天満宮) 

白山神社 

品川神社   (北の天王、北品川稲荷社)  

荏原神社 (南の天王、品川貴船社)  

富岡八幡宮 (深川八幡)  

王子神社   (王子権現)  

赤坂氷川神社

 

慶応3(1867)年10月、大政奉還により江戸時代が終り、同年12月に明治天皇は江戸を東京と改め江戸城を皇居と定めた。

それに先立つ同年10月17日、明治天皇は氷川神社を勅祭社に定め、続く11月8日に准勅祭神社として東京近郊の12社を定めた。東京の鎮護と万民の平安を祈願するためである。

勅祭とは天皇の勅使が派遣される祭りで、12社はこれに准ずる神社となった。しかし、明治3年(1870)にこの制度は廃止され、翌年近代社格制度により、これらの神社は日枝神社が官幣大社、ほかは府社か郷社になった。

 

東京十社巡りは昭和50年に昭和天皇即位50年を奉祝して、元准勅祭神社である10社を巡拝する企画として始まった。

このとき、元准勅祭社であった12社のうち、六所宮(現大國魂神社:東京都府中市)と鷲宮神社(埼玉県久喜市)の2社は遠いので外されたようだ。

両方とも由緒ある立派な神社だけど、「東京十社」の名称では括りづらいということだったのだろう。埼玉の鷲宮はともかく、府中でも遠いのだな。まあ、その感じは理解できる。当時田舎だった新宿よりもっと奥だし、府中は江戸ではなく、武蔵國だからな。

また、「東京十社」の決定に当たり、准勅祭社制定当時の品川貴船社に当たる神社として現在の品川神社が選ばれたが、品川貴船社は現在の荏原神社であるという説もある。

ものごとの扱いって、こうやって固定化されていくところが興味深い。つまり、歴史上、准勅祭社という制度は3年も続かず、継続性はなかったし、東京十社巡りなどという行為は昭和50年までなかったのである。

しかしまあ、十社であろうとなかろうと、それぞれの神社は一度は准勅祭社として選ばれ、今までずっとその地を鎮護し続けてきたのだから、お参りする必要があるのである。というわけで、鷲宮神社にもいつかはお参りに行かねばなるまい。

 

東京十社巡り用のご朱印帳は右ページに由緒が記載され、左ページにご朱印を押すようになっている。

それぞれの神社では小さな絵馬を求めることができる。小さな絵馬の裏には両面テープが貼られており、飾り台の所定の位置に貼って飾ることができる。これはなかなかよくできている。

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ご朱印帳 1500円(一社分のご朱印初穂料込み)。

ご朱印 各300円。

小さな絵馬 各300円。

飾り台 1500円。

計 8700円(交通費、お賽銭は別)

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品川神社

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しながわじんじゃ

ご祭神は天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、宇賀之売命(うがのめのみこと)である。

天比理乃咩命は文治3年(1187年)に源頼朝が海上交通安全と祈願成就の守護神として安房國洲崎明神から勧請し、品川大明神と称したという。

この洲崎明神は一宮の洲崎神社のことであろうな。あの神社は素晴らしかった。

京浜急行の2つめの駅・新馬場のすぐ近くにある。

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境内で結婚式用の写真を撮影しているカップルがいて、遠慮していると時間が過ぎていき、汗だくになった。

東京十社巡りの最後のお社となった。

ご朱印、ミニ絵馬のほか、飾り台も求める。各神社で求めたミニ絵馬を貼るのである。

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交通旅行安全守護ぶじかえるの石像。

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富岡八幡宮

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とみおかはちまんぐう

深川八幡ともいう。江戸最大の八幡さまである。

深川八幡祭りは江戸三大祭りのひとつで、大変な賑わいになる。

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伊能忠敬が江戸を出立する際にお参りした場所。すぐ近くに住んでおられた。

東京十社巡りの九つ目。

境内のあちこちで骨董屋さんが店を広げていた。

ほとんどががらくたである。

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横綱力士の碑。

日本でいちばん最初に相撲がとられた場所だそうである。

前の職場が深川にあって、ここには何度か池の鯉に餌をやりに来たなあ。

近くの東京都現代美術館に行こうと思っていたが、出掛けに調べたら休館日であった。残念。

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2013年9月21日 (土)

王子神社

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おうじじんじゃ

王子神社は中世に熊野信仰の拠点となった神社だそうだ。

王子村は古くは岸村と称したが、紀州熊野三所若一王子が勧請され、王子村と改められたとのことだ。

この名称の話は非常に興味深い。

若一王子(にゃくいちおうじ)は若王子(にゃくおうじ)とも称され、熊野信仰の神仏習合の神様である。

熊野三山には熊野十二所権現として三所権現、五所王子、四所明神が祀られており、若一王子は五所王子の第一位とされている。若一王子の本地仏は十一面観音で、天照大神あるいは瓊々杵尊と同一視されたという。つまり、天照大神を祀っているわけだ。

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立派な拝殿、本殿だった。

東京十社巡りの八つ目。JR王子駅から歩いてすぐ。親水公園もあって、人がたくさんいた。

今日は五つお参りできた。移動は電車とタクシーを適宜組み合わせたが、さすがに都会ならではで、効率的にお参りできた。

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白山神社

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はくさんじんじゃ

東京に白山という地があるのは知っていた。東洋大学のある所だ。

しかし、それが白山比咩神社を勧請したことを知ったのは神社に関心を持った最近のことである。

訪れてみてすごいと思ったのは、やはり都会である、鳥居のすぐ脇までマンションの建物が迫っているのだった。

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こちらもお祭りの日だった。

あいにくご神職は不在で、ご朱印は紙のものをいただいた。

こういうこともあろう。

東京十社巡りの七つ目。少しずつゴールが見えてきた。

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根津神社

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ねづじんじゃ

ご祭神は須佐之男命、大山咋命、誉田別命。

相殿には大国主命、菅原道真公。

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唐門。

訪れたのは例祭の日だったので、境内は店の準備で賑わしかった。

お祀りの儀式が始まってしまい、ご朱印をいただくのに少し時間がかかったが、これもまた得がたい体験であった。

東京十社巡りの六つ目。ようやく折り返した。

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