【二十二社】

2014年3月18日 (火)

二十二社巡り

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二十二社は国家の重大事や天変地異の際に朝廷から特別の奉幣を受けた神社のことである。

初めから二十二社が決まっていたわけではなくて、後朱雀天皇の長暦三年(1039)に二十二社目の日吉社(現在の日吉大社)が加わり、白河天皇の永保元年(1081)に制度としての二十二社が確立したとされている。

主に畿内(山代、摂津、大和、和泉、河内)の神社から選ばれた。

二十二社巡りをする人は結構いるようだ。

いつの間にか大半のお社をお参りしていたので、自分も意識して巡拝し、この度ようやく終えることができた。

二十二社の一覧は以下のとおりである(現在の名称で表示)。

<上七社>

神宮(伊勢神宮) 三重県伊勢市

石清水八幡宮   京都府八幡市

賀茂別雷神社(上賀茂神社)  京都府京都市北区 
賀茂御祖神社(下鴨神社)   京都府京都市左京区

松尾大社      京都府京都市西京区

平野神社      京都府京都市北区

伏見稲荷大社   京都府京都市伏見区

春日大社      奈良県奈良市

<中七社>

大原野神社    京都府京都市西京区

大神神社      奈良県桜井市

石上神宮      奈良県天理市

大和神社      奈良県天理市

廣瀬大社      奈良県北葛城郡河合町

龍田大社      奈良県生駒郡三郷町

住吉大社      大阪市大阪市住吉区

<下八社>

日吉大社      滋賀県大津市

梅宮大社      京都府京都市右京区

吉田神社      京都府京都市左京区

廣田神社      兵庫県西宮市

八坂神社      京都府京都市東山区

北野天満宮     京都府京都市上京区

丹生川上神社(中社)  奈良県吉野郡東吉野村
丹生川上神社上社    奈良県吉野郡川上村
丹生川上神社下社    奈良県吉野郡下市町

貴船神社      京都府京都市左京区

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2014年3月16日 (日)

廣田神社

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ひろたじんじゃ。

式内社(名神大社)、二十二社の下八社の一社。旧官幣大社。

ご祭神は、主祭神に天照大神荒魂。撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)である。

この神様は先日お参りした伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と御同体である。

脇殿神は、住吉大神、八幡大神、武御名方大神、高皇産霊神を祀っている。

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創建は神功皇后二年と伝わる。

神功皇后が三韓征伐に出発する際に、天照大神の神託があった。

「和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろう」

ところが、戦いの帰りに神功皇后とお腹の中にいる皇子(応神天皇)を殺そうと、忍熊王が明石で待ち伏せていた。

神功皇后は戦いからの帰途にそれを知り、紀淡海峡に迂回して難波の港に向かう。しかし、難波の港を目前にした所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまった。

そこで兵庫の港に向かい、神意をうかがうと、天照大神の託宣があった。

「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」

そこで、皇后は山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀られた。

これが廣田神社の創建だという。

このとき、生田神社、長田神社、住吉大社に祀られることになる神からも託宣があり、それぞれの神社の鎮座が行われた。

すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王を退治することができた。

 

奈良の春日大社を後にしたが、帰途には着かず、さらに西にある西宮まで行くことにした。兵庫県である。神戸の各社にお参りするのは時間的に難しいが、廣田神社と西宮神社にはお参りできるかもしれない。

じつはお参りしたいからといって、お参りできるとは限らない。時間があっても途中で交通事故があったり、工事で思っていた道を進めなかったり、道がわからなかったりする。

この日は高速道路、一般道ともスムーズで、何の障害もなく移動できた。

デジカメのバッテリーが切れてしまい、携帯電話で撮った写真が情けないが、これで二十二社のお参りができた。ありがたいことである。

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春日大社

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かすがたいしゃ

式内社(名神大社)、二十二社の上七社の一社。旧官幣大社。

全国に約1000社ある春日神社の総本社。

ご祭神は、主祭神は春日神と総称される4柱。藤原氏の氏神である。

武甕槌命(藤原氏守護神)

経津主命(藤原氏守護神)

天児屋根命(藤原氏の祖神)

比売神(天児屋根命の妻)

社伝では、神護景雲二年(768))に藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって創祀とされている。

神仏習合時代は興福寺と関係が深かった。明治4年(1871)に春日神社に改称し、官幣大社に列した。昭和21年(1946)に春日大社に改称した。

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東回廊。

折角なので特別参拝で、中の拝殿でお参りした。

武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。

参道に鹿がいたので、鹿せんべいをあげた。

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蕾って、丸いんだなあ。

 

そもそもこの日は朝から桧原神社、春日大社、廣瀬大社と龍田大社をどのような順番で廻るかで結構迷った。

結局、桧原神社のあと西に行って、廣瀬大社、龍田大社を先にお参りし、春日大社はあとにした。

春日大社は観光地なので駐車場も境内も混む可能性があるからである。でも、じっさいはスムーズにお参りできた。

最後にしようと思ってしまったのと、こちらでカメラのバッテリーが切れてしまい早いけど帰ろうと思った。

このあと、思い直して西宮に向かうのだが、すぐ近くにある手向山八幡にお参りすることをすっかり忘れてしまった。

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龍田大社

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たつたたいしゃ

式内社(名神大社)、二十二社の中七社の一社。旧官幣大社。

ご祭神は天御柱命(あめのみはしらのみこと)、国御柱命(くにのみはしらのみこと)。

龍田の風神と総称され、広瀬の水神と並び称された。

同社の祝詞などでは、天御柱命は級長津彦命(男神)、国御柱命は級長戸辺命(女神)のこととされているそうだ。

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『延喜式』祝詞に「龍田風神祭祝詞」というのがあるそうだ。それによると、崇神天皇の時代に数年に渡って凶作が続いて疫病が流行したので、天皇自らが天神地祇を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあって、これによって創建されたといわれる。

『日本書紀』では、天武天皇四年(675)に勅使を遣わして、風神を龍田立野に祀り、大忌神を広瀬河曲に祀ったとのことである。

奈良県生駒郡三郷町にある。

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廣瀬大社

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ひろせたいしゃ

式内社(名神大社)、二十二社の中七社の一社。旧官幣大社。

旧称は廣瀬神社で、大社は戦後称するようになった。

ご祭神は主神に若宇加能売命(わかうかのめのみこと)、相殿に櫛玉命(くしたまのみこと)、穂雷命(ほのいかづちのみこと)を配祀する。

若宇加能売命は廣瀬大忌神 (ひろせおおいみのかみ)ともいい、社伝では豊宇気比売大神(神宮外宮)、宇加之御魂神(伏見稲荷大社)と同神だそうである。龍田大社の龍田風神とも関係があるらしい。

でも、本来の祭神は長髄彦であるとする説もあるらしい。長髄彦は神武天皇の東征の際に登場する。敵方で矢を放って五瀬命に当たり、それが元で五瀬命は命を落とした。

櫛玉命は社伝では饒速日命を指している。社家の樋口氏が饒速日命を祖神とする物部氏の末裔だそうだ。

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創建は崇神天皇九年(前89)。廣瀬の河合の里長に御信託があり、一夜で沼地が陸地に変化し、橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、この地に社殿を建て祀られるようになったと社伝に伝わる。

この由来から社紋は橘である。

龍田の風神、広瀬の水神として並び称された。

奈良県北葛城郡河合町にある。

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参道に日露戦争の戦利品の大砲と砲弾があった。

大砲はワルシャワ株式会社製である。

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2014年3月15日 (土)

丹生川上神社・下社

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にうかわかみじんじゃ・しもしゃ。

式内社(名神大社)、二十二社の下八社の一社。旧官幣大社(明治4年)。

ご祭神は闇龗神 (くらおかみのかみ)。

以前は高龗神であったという。大正時代に祭神の変更があり、現在の祭神となった。

なお、祭神は「丹生大明神」で、丹生都比売神社の祭神である丹生都比売神のことであるとする説もあるらしい。

全然関係ないけど、伊太祁曽神社から丹生都比売神社に巡拝したときも峠道を越えたなあ、ということを思い出した。そのあと、丹生官省符神社もお参りしたのだけど、たしかにみな「丹生」がつくものな。

上古の由緒は不詳だそうである。土地の古老の伝えに、丹生社の鳥居が洪水によって流されてきたので、それを拾って神体として祀ったのが創祀であるという話がある。

一方で、不祥の故か、正統性を史的根拠に求める態度が強いようだ。関係者なのか社務所の前で参拝者に熱心に説明されていて、勉強になった。

丹生川上神社の論社三社の正統性については、江戸時代の考証では下社が有力だったが、明治時代から大正時代にかけて、いくつかの説が出て、結局三社とも官幣大社に加列された。

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拝殿の裏が山の斜面なので、本殿が上のほうにあり、繋いでいる階段が長くて急だ。

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かわいいご神馬がいた。かいいのか柵でお尻をかいていた。

ご神馬は白馬ばかりだと思っていたが、こちらでは黒い馬にも出番がある。

祈雨祈願の際には黒馬が、止雨の時には白馬(または青馬)が奉献されるそうだ。

馬を水神ないしはそれと密接な動物と見られているらしい。馬の色との対応も雨雲は黒、晴天は白という観念に基づき、神事が行われるのだそうだ。

 

三社巡りを目的にしていたわけではないが、二十二社、官幣社の論社をすべてお参りしてみたかったので、結局三社巡りになってしまった。

でも、お参りしてみてよかったと思う。それぞれの土地にそれぞれの由来がある。昨年の夏一生懸命山間部を走っていたことを思い出した。

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丹生川上神社・上社

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にうかわかみじんじゃ・かみしゃ

式内社(名神大社)、二十二社の下八社の一社。旧官幣大社。

ご祭神は本殿に高龗大神(たかおかみのおおかみ)、相殿に大山祇神、大雷神を祀っている。

高龗大神は龍神であり、水・雨を掌る神様である。農業にとって重要なので、古くから篤い崇敬の対象になってきた。

伊弉諾尊が火の神かぐつち神を斬ったときに生まれた神様だ。火の神様から水の神様が生まれたのである。

龗大神は山の峰の龍神、下社に祀る闇龗神(くらおかみのかみ)は谷底に棲まれる龍神で、龗大神を奉祀する神社の数は全国で本社で約1,300社、境内社で約300社の計1,600社もあるという。

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創建の由来は中社と同じなので省略。

官幣大社の上社、中社、下社それぞれが加列されたが、上社は明治29年である。

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吉野郡川上村にある。

写真は境内の遥拝所の近くから撮ったもので、ダムが見える。

「天空の社」を自称するだけに山の上にある。

ただし、上の本殿の写真でもわかるように周囲がかなりきれいに整備されていて、ちょっと違和感がある。周囲を社叢林に囲まれているわけでもなく、何だか雰囲気が味気ない。

これには理由がある。元々の境内地は、昭和三十四年の伊勢湾台風による大滝ダム建設に伴って、水没を余儀なくされたのだ。

現在地には平成十年三月に遷座したとのことで、どおりで新しいはずである。これは神社に限らない。ダム周辺がみなきれいに整備されているのだった。

境内に元宮の遥拝所があったのはそのためだったのか。

 

中社がある東吉野から平地まで降りず、途中から吉野川を遡って大滝ダムのある川上村まで登ってきた。

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丹生川上神社・中社

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にうかわかみじんじゃ

式内社(名神大社)、二十二社の下八社の一社。旧官幣大社(大正11年)。

現在、3つのお社(上社、中社、下社)があり、いずれもかなり山奥にある。

こちらは中社。

ご祭神は、本殿の主祭神は、罔象女神(みづはのめのかみ)、相殿に伊邪奈岐命、伊邪奈美命を配祀している。

東殿には大日孁貴命(おおひるめむちのみこと、天照大神のこと)、譽田別命(ほんだわけのみこと、応神天皇のこと)、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)を祀っている。

西殿には開化天皇と上筒男命、菅原道真と綿津見神、大国主神と事代主神を祀っている。

主祭神の罔象女神は、水一切を司る水利の神として、または雨の神として信仰されてきた。五穀豊穣のため、旱続きには降雨を、長雨の時には止雨を祈るなど、水神のご加護を祈ってきた。

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社伝では、鎮座地は神武天皇が天神の教示によって天神地祇を祀り、戦勝を占った地であるとされている。

天武天皇の白鳳四年(675年)に「人聲の聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨(長雨の事)を止めむ」との神託により創祀された。

読んだことはないけど、吉田兼倶撰といわれる『二十二社注式』には、天武天皇の白鳳乙亥年(4年)に垂迹し、大和神社の別宮になったと記されているそうだ。

古来から大和神社の別社とされ、祈止雨の霊験著しい雨師神として、朝廷から重んじられてきた。

 

8時過ぎに橿原に着き、桜井から宇陀を抜けて、朝いちばんにお参りした。東吉野の山奥にあり、細い道を登っていく。上社も下社も離れた地にあり、同じように山奥にあるので、お参りするにも決心が必要だ。ずっと来たいと思っていたが、今回お参りできてよかった。

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2014年3月 9日 (日)

大原野神社

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おおはらのじんじゃ

二十二社の中七社の一社。旧官幣中社。

ご祭神は、第一殿に建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、第二殿に伊波比主命(いわいぬしのみこと)、第三殿に天之子八根命(あめのこやねのみこと)、第四殿に比賣(ひめ)大神。

春日大社と同じだが、春日大社の表記は、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神である。

摂社若宮社に天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀る。

創建は延暦三年(784)。同年の桓武天皇の長岡京への遷都に伴い、桓武天皇の后の藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である奈良春日社の分霊を勧請して、しばしば鷹狩を行っていた大原野に祀ったことに始まる。

なので、奈良の春日に対して京春日とも呼ばれる。

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素晴らしく、よく整備されている。

まっすぐなほどよい幅の参道。右手の池。境内を囲む社叢林。

とくに本殿を囲む木々の感じがいい。

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奈良の猿沢池を模して造った鯉沢の池。

鴨が3羽泳いでいた。

   

京都の西京区にある。洛西である。

在所の細い道を進んで、ようやくたどり着いた。

なんというか、穏やかな風景が広がるところであった。

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賀茂別雷神社(上賀茂神社)

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かものわけいかづちじんじゃ

式内社(名神大社)。山城國一宮。二十二社の上七社の一社。旧官幣大社。

ご祭神は、賀茂別雷大神(かものわけいかづちのおおかみ)。

賀茂別雷大神は神代に神社の北北西にある秀峰神山(こうやま)に降臨したという。

天武天皇の時代(678)に、現在の社殿の基が造営された。

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前回は八咫烏の入れ物のおみくじを引いたが、今回はご神馬のものにした。

運勢は大吉であった。

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鳥居の前にご神馬がいたので、皿のにんじんをあげた。

にんじんが薄い輪切りになって、金属の小さな皿に乗っているのだ。

初穂料はお気持ちということで、こういうのは大体100円である。

食べるときにご神馬の口が手に触った。

 

貴船神社に行くときに通るので、お参りした。

二度目である。

いま、特別参拝で神職の説明つきで国宝を見ることができる。

来年遷宮の年である。

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