*総社

2016年3月26日 (土)

飛騨総社

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ひだそうじゃ。岐阜県高山市にある。

旧県社。飛騨国の総社である。

延喜式神名帳所載八座(大野郡三座、荒城郡五座)と国史記載社十座を祀る。

毎年5月4日、5日には例祭では、千人行列のほか、二人一組による親子獅子舞(22人による曲芸のような舞)が行われる。

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ご祭神は以下のとおりである。

正殿主神

大八椅命:大八椅命は飛騨国の最初の国造、天火明命の後裔。

脇殿(延喜式神名帳所載八座)

水無神 (飛騨一宮水無神社祭神 位山)
槻本神 (槻本神社祭神 大山津見神)
荏名神 (荏名神社祭神 高皇産靈神)
大津神 (大津神社祭神 大彦命、武渟河別命)
荒城神 (荒城神社祭神 大荒木之命)
高田神 (高田神社祭神 高魂命)
阿多由太神 (阿多由太神社祭神 大物主神)
栗原神 (栗原神社祭神 五十猛命)

脇殿(国史記載社十座)

大歳神走淵神
四天王神
遊幡石神
渡瀬神
道後神
気多若宮神
本母国津神
剣緒神
加茂若宮神

合祀

伊邪那岐命
伊邪那美命
菊理姫命

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創建は平安時代の承平年間(931~938)と伝えられる。

文治2年(1191)に最初の社殿が築かれた。しかし、室町時代になると衰退する。

江戸時代の寛永年間に金森重頼により社殿の大改修が行われたが、天明元年(1781)の天明の大飢饉の頃から再び衰退し、境内も縮小される。

国学者である田中大秀(本居宣長門弟)は、その様子を嘆き、文化3年(1808)に「飛騨総社考」を著して再興を願う。

これを契機に文政3年(1820)に再建され、境内も拡大する。

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明治20年(1887)より1890年にかけて大造営が行なわれ、南向きだった社殿を東向きにし、参道が整備された。

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神明神社(福井市)

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しんめいじんじゃ。福井県福井市宝永にある。

福居庄総社。旧県社。現在は神社本庁の別表神社。

お神明さん(おしんめさん)の通称で呼ばれている。

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ご祭神は天照大神を祀る。

創建は、社伝によれば、醍醐天皇の時代、内宮足羽御厨(みくりや)の北の庄の某が伊勢皇大神の勧請を願い出て勅許され、延長2年(924)に神霊を足羽神社に祀り、間もなく現在地に社殿を造営して遷座したという。

『吾妻鏡』には、建久3年(1192)、源頼朝が妹の一条能保の室に当社の領家職を与えたとの記述がある。

歴代領主の崇敬を受け、江戸幕府は朱印領百石を寄進した。

明治4年に県社に列格した。

 

写真のとおり、天候に恵まれたお参りになった。参道の桜の蕾が丸く膨らみ、開花直前の様子であった。

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2016年2月27日 (土)

大国魂神社

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おおくにたまじんじゃ。東京都府中市にある。

武蔵國総社。旧官幣小社。現在は神社本庁の別表神社。 東京五社の一社。六所宮とも呼ばれる。

ご祭神は武蔵国の総社として、当社創建当時の武蔵国一之宮から六之宮まで(通称:武州六社明神)を祀っている。

中殿に、大國魂大神 (おおくにたまのおおかみ、主祭神で大国主命と同神とされる)、 御霊大神 (ごりょうおおかみ)。

さらに、国内諸神を祀る。

東殿

一之宮:小野大神 (小野神社、東京都多摩市)。

二之宮:小河大神(二宮神社、東京都あきる野市)

三之宮:氷川大神(氷川神社、埼玉県さいたま市大宮区)

西殿

四之宮:秩父大神(秩父神社、埼玉県秩父市番場町)

五之宮:金佐奈大神(金鑚神社、埼玉県児玉郡神川町)

六之宮:杉山大神(杉山神社、神奈川県横浜市緑区)

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社伝『府中六所社伝』に記された伝承によれば、景行天皇41年5月5日に大國魂大神がこの地に降臨し、それを郷民が祀った社が起源という。

その後、出雲臣の祖神である天穂日命の後裔が武蔵国造に任ぜられて、社の奉仕を行って以降、代々の国造が奉仕してその祭務を行ったと伝えられている。このときの社号は大國魂神社であった。

大化元年(645)の 大化の改新時、武蔵の国府が社有地内に置かれて社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する社となった。

国司が国内社の奉幣巡 拝・神事執行等の便により国内諸神を配祀し、武蔵総社の起源になった。このときに社号は武蔵総社となった。その後、武蔵国内の著名の神、六所(6社の神)を奉祀して、社号が武蔵総社六所宮と変わった。

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康平5年(1062)、前九年合戦平定の際に源頼義・義家父子が、欅の苗千本を寄進した(現在、国の天然記念物)。「馬場大門のケヤキ並木」の起源になった。

寿永元年(1182)、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、政子の安産の祈願が行われた。文治2年(1186)源頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営した。

貞永元年2月(1232)、執権北条泰時の代で社殿の修造が行われた。 天正18年(1590)8月に徳川家康が江戸へ入城してからは、 武蔵国の総社として、社領500石が寄進されて社殿及びその他の造営が行われた。

正保3年(1646)10月、類焼により社殿が焼失が、寛文7年(1667)、徳川家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。

明治元年(1868)、勅祭社に準ぜられた。明治4年(1872)、社号を大國魂神社に改称。

明治7年(1875)に県社、明治18年(1886)に官幣小社となった。

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2回目のお参りで、この日は初参りの家族連れの姿があった。

通常の参拝客も多く、人々の崇敬が厚い。

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2015年9月23日 (水)

静岡浅間神社

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しずおかせんげんじんじゃ

静岡市葵区にある。式内小社、旧官幣小社。駿河國総社。静岡の総氏神。

神部神社、浅間神社(二社同殿)、大歳御祖神社の三社を静岡浅間神社と総称している。通称はおせんげんさま。

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神部神社は第十代崇神天皇の代、約2100年前に駿河開拓の祖神・駿河の国魂の大神として鎮座され、延喜式内社であった。平安時代には駿河国総社となった。『国内神名帳』には美和明神と記され、『類聚国史』に従一位と記載されており、この地方最古の神社である。

浅間神社は延喜元年(901)、醍醐天皇の勅願により富士山本宮より分祀され、爾来富士新宮として国司の尊崇を受けた。

大歳御祖神社は応神天皇4年(273)に古代この地方の物流の拠点、商業の中心地であった「安倍の市」の守護神として創祀された。延喜式内社であり、『国内神名帳』に正二位奈古屋明神と記され、静岡市の地主神である。

三社とも朝廷はじめ国司・武将等の崇敬が篤く、駿河国総社・静岡の総氏神さま、駿河の大社として広く信仰されてきた。  

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ご祭神は、神部神社が大己貴命で駿河国開拓の祖神である。浅間神社が木之花咲耶姫命。

大歳御祖神社は大歳御祖命(おおとしみおやのみこと)。倉稲魂神(うかのみたまのかみ)・大年神(おおとしのかみ)の母神・神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)である。

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神部神社、浅間神社の大拝殿。

一層目は千鳥破風付き切妻屋根、二層目は入母屋屋根の三層二階建て楼閣造り。一般に浅間造りと呼ばれる高さ25mの大建築である。

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大歳御祖先神社の拝殿。

本社である神部神社・浅間神社・大歳御祖神社のほかに、境内には麓山神社、八千戈神社、少彦名神社、玉鉾神社の四境内社が鎮座する。

ご朱印は、静岡浅間神社と大歳御祖神社のものを授与している。

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2014年4月13日 (日)

尾張大国霊神社(国府宮)

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おわりおおくにたまじんじゃ

式内社(小社)。尾張國総社。国幣小社。

ご祭神は、尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ)。

尾張地方の國霊神(くにたまのかみ)である。

尾張人の祖先がこの地に移住、開拓し、その日その日を生きていく糧を生み出す根源である国土の偉大なる霊力を神として敬い、尾張大國霊神として祀ったという。

一方、開拓の神なので大国主命とする説もあるらしい。

奈良時代、国衛(こくが:国府のこと)に隣接して鎮座したことから尾張国の総社と定められ、国司自らが祭祀を執り行う神社だった。

現在の愛知県稲沢市国府宮の地名もそこからきている。別名、国府宮神社(こうのみやじんじゃ)、国府宮(こうのみや)と呼ばれる。案内の看板も「国府宮」で指示されていた。

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楼門。立派である。

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本殿は改修中だった。

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仮拝殿。

浄布を分けていただいた。

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2014年2月12日 (水)

莵橋神社

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うはしじんじゃ

小松市にある。小松総社、式内社である。

創建は古く、慶雲元年(702年)とも、それ以前とも伝えられる。

弘仁十四年(823年)、越前国より江沼郡と加賀郡が分離して加賀国ができ、その後両郡がそれぞれ能美郡、石川郡を分離した。加賀国の国府は能美郡莵橋郷(ウハシゴウ、莵の字は、兔、兔、菟とも書き、のちに得となった)に置かれた。

莵橋神社はこの莵橋郷三十ヶ村の総鎮守である。

ご祭神は莵橋大神、諏訪大神。

莵橋大神は産土神(氏神、鎮守神)である。土地の神様だ。やっぱり、その土地の神様を大事にしている神社はいいなと思う。

諏訪大神は大国主命の第二の御子神である建御名方命(たけみなかたのみこと)とその妃神八坂刀賣命(やさかとめのみこと)で、その総本社は有名な諏訪大社(信濃國一宮)である。

社伝では「太古悠遠の昔、大国主命が北陸地方経営に際して父神と共にこの加賀の地に到り、先ず洪水を治め暴風を防ぎ凶暴を平らげ国土を開拓し農耕、機械、殖産の道を教え民衆の生業を助け給い、やがてその業成るや自らの御魂をこの地に留められ国魂の神として永く莵橋郷の鎮守の神となられし後に信濃国諏訪の地へ赴かれた」と伝わるそうだ。

建御名方命が大国主命に伴って北陸に地にやってきたというわけだ。おすわさんの呼称は諏訪大神からきてるのだな。

この地に移って目の前を通る機会が何回もあって気になっていたのだが、今回ようやくお参りできた。

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2013年6月30日 (日)

大國魂神社

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おおくにたまじんじゃ

武蔵國総社。旧官幣小社。現在は神社本庁の別表神社。 東京五社の一社。六所宮とも呼ばれる。

ご祭神は武蔵国の総社として、当社創建当時の武蔵国一之宮から六之宮まで(通称:武州六社明神)を祀っている。

中殿に、大國魂大神 (おおくにたまのおおかみ、主祭神で大国主命と同神とされる)、 御霊大神 (ごりょうおおかみ)。

さらに、国内諸神を祀る。

東殿

一之宮:小野大神 (小野神社、東京都多摩市)。

二之宮:小河大神(二宮神社、東京都あきる野市)

三之宮:氷川大神(氷川神社、埼玉県さいたま市大宮区)

西殿

四之宮:秩父大神(秩父神社、埼玉県秩父市番場町)

五之宮:金佐奈大神(金鑚神社、埼玉県児玉郡神川町)

六之宮:杉山大神(杉山神社、神奈川県横浜市緑区)

社伝『府中六所社伝』に記された伝承によれば、景行天皇41年5月5日に大國魂大神がこの地に降臨し、それを郷民が祀った社が起源という。

その後、出雲臣の祖神である天穂日命の後裔が武蔵国造に任ぜられて、社の奉仕を行って以降、代々の国造が奉仕してその祭務を行ったと伝えられている。このときの社号は大國魂神社であった。

大化元年(645)の 大化の改新時、武蔵の国府が社有地内に置かれて社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する社となった。

国司が国内社の奉幣巡 拝・神事執行等の便により国内諸神を配祀し、武蔵総社の起源になった。このときに社号は武蔵総社となった。その後、武蔵国内の著名の神、六所(6社の神)を奉祀して、社号が武蔵総社六所宮と変わった。

康平5年(1062)、前九年合戦平定の際に源頼義・義家父子が、欅の苗千本を寄進した(現在、国の天然記念物)。「馬場大門のケヤキ並木」の起源になった。

寿永元年(1182)、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、政子の安産の祈願が行われた。文治2年(1186)源頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営した。

貞永元年2月(1232)、執権北条泰時の代で社殿の修造が行われた。 天正18年(1590)8月に徳川家康が江戸へ入城してからは、 武蔵国の総社として、社領500石が寄進されて社殿及びその他の造営が行われた。

正保3年(1646)10月、類焼により社殿が焼失が、寛文7年(1667)、徳川家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。

明治元年(1868)、勅祭社に準ぜられた。明治4年(1872)、社号を大國魂神社に改称。

明治7年(1875)、県社、明治18年(1886)、官幣小社となった。

府中にある。東京への往復では中央道の国立府中ICから乗り降りすることが多く、2kmほどしか離れていない。でも、なかなかお参りできなかった。この日はもう帰りは夜になるので、覚悟を決めてICから往復1時間を使ってみた。夕方は道路が混んだけど(だって、都会なのだ)、無事お参りできた。

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