神社

2017年1月12日 (木)

烏森神社

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からすもりじんじゃ 公式サイト

東京都港区新橋二丁目にある。

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ご祭神は、倉稲魂命(稲荷神)、天鈿女命、瓊々杵尊を祀る。

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創建は、社伝によれば、天慶3年(940)、平将門が乱を起こした際、鎮守府将軍藤原秀郷(俵藤太)が武蔵国のある稲荷神社に戦勝を祈願したところ、白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えた。その矢によって速やかに乱を鎮めることができたので、それに感謝してどこかに稲荷神社を創建しようと考えていたところ、秀郷の夢に白狐が現れ、神鳥が群がる場所が霊地であるとお告げした。秀郷が現在地である桜田村の森に来た所、お告げの通り烏が群がっていたので、そこに神社を創建した、というのが当社の始まりであるという。

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祭事

例大祭 5月4・5・6日 (夏祭り:はしり烏森祭)

江戸時代の稲荷ブームの際には、初午の稲荷祭の賑わいは「江戸で一二を争うものであった」そうだ。

新橋には他に日比谷神社があり、大祭は日比谷神社と交互に隔年で行われる。

当社の大神輿は1930年に名人・山本正太郎(通称だし鉄)によって作られた巨大なもの。境内に木遣塚あり。

「心願色みくじ」と御朱印が組み合わされている。

※以上、文章はWikipedia、公式サイト、境内案内版を抜粋・加筆・編集

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2016年12月31日 (土)

神社巡拝一覧(一宮以外の神社)

※印は参拝した時間などの問題で、ご朱印をいただかなかったお社、▲印は山の頂上や海上などにある本宮・奥宮・奥社に、まだお参りしていないお社。

    
北海道

東北
出羽三山神社   大崎八幡宮
御釜神社

関東
赤城神社(大洞三夜沢※)  二宮赤城神社※ 
榛名神社   妙義神社
中之嶽神社・甲子大國神社   伊香保神社※  
日光東照宮   古峯神社   唐沢山神社
静神社  吉田神社  息栖神社  常磐神社  東照宮(水戸市)
大洗磯前神社   酒列磯前神社   笠間稲荷神社
筑波山神社   加波山三枝祇神社※  大杉神社
二宮神社(船橋市) 玉崎神社(旭市)
千葉神社  小御門神社
調神社   鷲宮神社   金鑚神社   箭弓稲荷神社
氷川神社(川越市)  高麗神社
三峯神社  寳登山神社
武蔵御嶽神社  大国魂神社  二宮神社(あきる野市)
明治神宮   東京大神宮   東郷神社   乃木神社
築土神社※  鎧神社(新宿区)※ 於岩稲荷田宮神社
浅草神社   湯島天満宮  赤城神社(新宿区)
芝大神宮   日枝神社(赤坂)  氷川神社(赤坂)  亀戸天神社
神田神社   根津神社   白山神社   王子神社   富岡八幡宮
品川神社   荏原神社  王子稲荷神社  花園神社   
出雲大社東京分祠  金刀比羅宮(虎ノ門)  水天宮(東京)
香取神社(江戸川区)
蒲田八幡神社  羽田神社   穴守稲荷神社  代々木八幡宮  
鳩森八幡宮   大宮八幡宮  井草八幡宮  武蔵野八幡宮
東伏見稲荷神社  田無神社  杵築大社
谷保天満宮
伊勢山皇大神宮   杉山神社(横浜市緑区)
稲毛神社   琴平神社(川崎市麻生区)
鎌倉宮   荏柄天神社   銭洗弁財天宇賀福神社   江島神社
大山阿夫利神社▲   箱根神社▲ 

甲信越
金櫻神社   武田神社
武水別神社   手長神社※   小野神社・矢彦神社※※
若一王子神社  穂高神社   生島足島神社
戸隠神社(宝光社・火之御子社中社奥社・九頭龍社
上田大神宮※   鼻顔稲荷神社
沙田神社※  深志神社  四柱神社  松本神社
筑摩神社(松本市)
八海山尊神社
日枝神社(富山市)
天日陰比咩神社   伊須流岐比古神社※   羽咋神社
大野湊神社   菅生磯部神社  
金澤神社   尾山神社   尾崎神社
莵橋神社※  安宅住吉神社
劔神社   金崎宮   福井神社   佐佳枝廼社  柴田神社  
神明神社(福井市)  藤島神社  足羽神社  総社大神宮
弁財天白龍王大権現(竹原弁財天)※   平泉寺白山神社

中部
伊豆山神社▲  伊古奈比咩命神社  来宮神社
静岡浅間神社   久能山東照宮
秋葉山本宮秋葉神社(上社下社)  井伊谷宮
知立神社  猿投神社
熱田神宮   大縣神社   田縣神社   尾張大国霊神社(国府宮)
那古野神社※  若宮八幡社  津島神社
伊奈波神社  長滝白山神社※   白鳥神社
飛騨総社   櫻山八幡宮

近畿
神宮(外宮、内宮、 (伊雑宮)、 瀧原宮)   多度大社
北畠神社  結城神社  津八幡宮※ 花窟神社※  産田神社※
日吉大社▲  多賀大社   御上神社   日牟禮八幡宮  
近江神宮   白鬚神社  (太郎坊宮)  山津照神社
都久夫須麻神社  長濱八幡宮  豊国神社(長浜市)
石清水八幡宮   松尾大社   平野神社   伏見稲荷大社
大原野神社   梅宮大社   吉田神社   八坂神社  
北野天満宮  御霊神社   下御霊神社  
貴船神社(本宮奥宮※)   平安神宮   白峯神宮   城南宮
今宮神社   護王神社   建勲神社   豊国神社   梨木神社  
新熊野神社   長岡天満宮  大川神社
生國魂神社   水無瀬神宮   大阪天満宮   今宮戎神社  
高津宮   四條畷神社  阿倍野神社
海神社   生田神社   長田神社   湊川神社
廣田神社   西宮神社   御形神社※   自凝島神社
春日大社   石上神宮   大和神社   廣瀬大社   龍田神社
丹生川上神社(上社中社下社)   吉野神宮   橿原神宮
高鴨神社   桧原神社   與喜天満神社   談山神社
等彌神社※   竈山神社   丹生官省符神社  
熊野速玉大社※・熊野本宮大社※・熊野那智大社※

中国
速谷神社  多家神社※  比治山神社  饒津神社
亀山神社  福山八幡宮  沼名前神社
大神山神社(本社・奥宮)   白兎神社
佐太神社   神魂神社   八重垣神社  須佐神社   須我神社
平濱八幡宮・武内神社   賣布神社   長浜神社
日御碕神社   美保神社
太鼓谷稲成神社   元乃隅稲成神社
山口大神宮  出雲神社(山口市)※  仁壁神社
古熊神社※  豊榮神社※  野田神社※  今八幡宮
琴崎八幡宮
赤間神宮   忌宮神社   龍王神社
福徳稲荷神社   亀山八幡宮  防府天満宮

四国
金刀比羅宮▲   津峯神社   忌部神社※   阿波神社

九州
宗像大社(辺津宮)   宮地嶽神社   香椎宮   志賀海神社  
櫛田神社   鷲尾愛宕神社   十日恵比須神社   水鏡天満宮  
警固神社   光雲神社   紅葉八幡宮  高祖神社
曩祖八幡宮
御祖神社(足立山妙見宮) 甲宗八幡宮  和布刈神社
大宰府天満宮   竈門神社▲  水天宮   宇美八幡宮
風浪宮   英彦山神宮▲   大富神社
春日神社(大分市)   八幡朝見神社
輿賀神社  佐嘉神社
田島神社  唐津神社  鏡神社
祐徳稲荷神社  櫛田宮
諏訪神社(長崎市)
北岡神社   藤崎八幡宮   健軍神社  出水神社
高橋稲荷神社  大宮神社   菊池神社
国造神社(阿蘇市)※   甲佐神社※   郡浦神社
八代神社   八代宮    青井阿蘇神社  
照國神社   霧島神宮   蛭児神社
加紫久利神社   米ノ津天満宮
壱岐神社※  和多都美神社

招魂社・護国神社
靖国神社
茨城縣護國神社  長野縣護國神社
富山縣護國神社  石川護國神社  福井縣護國神社
愛知縣護國神社  濃飛護國神社  岐阜護國神社
滋賀縣護國神社  三重縣護國神社
壱岐護國神社

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2016年12月28日 (水)

稲毛神社

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いなげじんじゃ 公式サイト

川崎市川崎区宮本町にある。JR川崎駅、京急川崎駅の東口から徒歩5分ほど。国道15号線沿いにある。 

旧社格は郷社。現在は神社本庁の別表神社。

旧称は山王権現、武甕槌神社で、現在も山王様の通称で呼ばれる。

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ご祭神は、武甕槌神を主祭神とし、経津主神・菊理媛神・伊弉諾神・伊弉冉神を配祀する。 江戸時代までは山王権現を祀るとされていた。

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創建年代は不詳。

社伝によれば、武甕槌神を祀って天皇の軍の戦勝を祈ったのに始まると伝えられる。景行天皇が東国巡行の際に、当社で賊難を避けたという。欽明天皇が東征のとき、新たに配祀神四神を祀り、以降長らく勅願所とされたと伝えられる。当初は祭神の名前から「武甕槌宮」と称していた。

平安時代末期、この地を領有した河崎基家が山王権現を勧請して以降、「河崎山王社」「堀之内山王権現」などと呼ばれるようになった。

明治元年、関東へ下降する有栖川宮熾仁親王が当社で休憩し、その際、「神仏習合に基づいた「山王」の社名は新政府の神仏分離の方針にふさわしくない」と言ったことから、社名を旧地名の武蔵国稲毛庄にちなんで「川崎大神稲毛神社」とし、明治中頃に「稲毛神社」の名が定着した。

明治6年、郷社に列格した。昭和41年(1966)、神社本庁の別表神社に加列された。

祭事

8月2日 例祭(川崎山王まつり)

2日の午後、神輿に神体を収める「古式宮座式」(神奈川県民俗文化財)が行われ、3日早朝から氏子による神輿巡幸が行われる。

境内社

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和嶋弁財天社(左)

ご祭神は市杵島姫命。

古くから河崎山王社の弁天池(放生池)の島「和嶋」に祀られていた。神池から流れる小川のほとりでは「曲水の宴」が行われた。

御神水吹上げ井戸石枠(右)

この地は水に難儀していたが、この井戸だけは清水が豊かに湧いていて、住民は「御神水吹上げ井戸」と呼び、鎮守のお恵みとして大切にしていた。とくに、流行病の際に夜半に水垢離に遠くから通う人もいた。昭和初期には工場用水汲み上げのためか清水は枯れてしまった。この石枠は川崎宿の旅籠屋中の寄進によるもので、文化8年(1811)、文政12年(1829)の2つの年号が刻まれている。

鳥居の左側にある。

参道の右側に手前から次の各社がある。

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右から、三峰神社、御嶽神社、八坂神社、大神宮、松尾神社、金刀比羅宮、福田稲荷神社。

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大鷲神社

ご祭神は日本武尊である。

江戸時代末期から明治初年に祀られたと考えられている。

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子神社(ねのじんじゃ)

ご祭神は大国主命(大黒さま)である。

江戸時代には須ヶ原に祀られていて里人から篤く信仰されていた。明治3年に須ヶ原、久根崎の人々により建て替えられた(現存する川崎宿時代の建造物)。明治45年、合祀令により勧進主のひとり森五郎作家に移し邸内社となっていたが、昭和32年、森家の転宅の際、当所に遷座された。

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第六天神社(左)、堀田稲荷神社(右)

両社とも江戸時代には堀之内にあり、川崎宿の旅籠屋、商人、芸妓たちや近郷の人々が篤く信仰していた。

当時、第六天神社には他生自在天(たけじざいてん)が祀られており、人々はそれを「多芸自在」と読んで技芸上達と安産の神として崇敬したといわれる。

※現在のご祭神は於母陀流神(おもだるのかみ)、訶志古泥神(かしこねのかみ)が祀られている。

明治39年、川崎競馬場建設の際に馬見場への通路に当たったため、当地に遷された。

同年は日露戦争戦勝年であったため、凱旋兵士を招いて戦勝祝賀会を兼ねた盛大な遷宮祭が行われた。以降、近隣の人々が「稲荷第六天講」を結成し、毎年例祭が行われている。

このほかに境外の兼務社に新田神社(渡田2-14-8)、八幡神社(大島3-4-8)、八幡神社(中島2-15-1)がある。

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御神木大銀杏

御神木の周囲に十二支の像が設置され、お参りできるようになっている。

※以上、文章はWikipedia、境内案内板を抜粋・加筆・編集

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伊勢山皇大神宮

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いせやまこうだいじんぐう 公式サイト

横浜市西区宮崎町にある。JR桜木町駅から徒歩10分。

旧社格は県社。現在は神社本庁の別表神社。

単に「皇大神宮」とも称される。横浜の総鎮守。「関東のお伊勢さま」として知られている。

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ご祭神は天照大御神である。

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創建は明治4年(1871)である。

安政6年(1859)に横浜港が開港すると、横浜は貿易の街として急速に発展し、海外の文化・技術が流入した。

明治3年(1870)、神奈川県はキリスト教を始めとする外来文化に接する横浜の精神的支柱とするために神社信仰の確立が必要と考え、元々戸部村海岸伊勢の森の山上にあった当社を同年4月に現在地の野毛山に遷座し、同年11月、当時の神奈川県知事井関盛艮が太政官と神祇官に建白書を提出した。

その建白書は、当社を伊勢神宮の遥拝所とし、県内の総社たる規模に整備することを願い出るものであり、翌月許可された。 その後、開港場である長崎・神戸にも同様の神宮遥拝所が作られることとなった。

明治4年(1871)4月15日、社殿および境内施設が竣工し、遷座が行われた。 翌明治5年(1872)には4月15日(旧暦)に例祭が行われたが、明治6年(1873)の太陽暦の採用により、例祭日は月遅れの5月15日となった。

本殿は神明造檜製。関東大震災で倒壊し、昭和3年(1928)に再建された。なお、本殿、拝殿の建替えが行われる予定である。仮殿の建設が2017年、本殿及び拝殿は神宮の本殿及び拝殿の部材を譲り受け、2019年に完成の予定。

 

境内社

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杵築宮(きづきのみや)

ご祭神は豊受姫大神、月讀命、須佐男命、大国主命、住吉三神を祀る。

子之大神(ねのおおかみ)

ご祭神は野毛町の氏神で、大国主命、姥姫を祀る。第二次世界大戦で炎上し、昭和26年(1951)に杵築宮に合祀された。

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大神神社磐座(おおみわじんじゃいわくら)

ご祭神は大物主大神を祀る。平成8年(1996年)に鎮座。

水神宮(すいじんぐう)は未確認。

祭事

例祭:5月15日の本宮を挟み、宵宮、後宮と3日間行われる。

大神神社磐座例祭:古代祭祀の様式で、4月9日に行われる。

杵築宮・子之大神例祭:8月20日に行われる夏祭りで、20基以上の神輿が出る。 神前結婚式を行っており、本殿前で行う本殿式と室内の儀式殿式がある。

※以上、文章はWikipedia、境内案内板を抜粋・加筆・編集

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2016年12月26日 (月)

來宮神社

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きのみやじんじゃ 公式サイト

静岡県熱海市西山町にある。

旧村社。現在は神社本庁の別表神社。

古くは「木宮明神」や「來宮大明神」などと呼ばれた。

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ご祭神は、大己貴命(おおなもちのみこと)、五十猛命(いたけるのみこと)、日本武尊を主祭神として祀る。相殿に稲荷神社・柿本社・天神社を祀る。

『走湯山縁起』は伊豆山神社の地主神としている。「きのみや」を「忌の宮」と解し、禁酒など断ち物の祈願をする者も多いという。

創建は年代不詳。社伝によると和銅3年(710)、熱海湾で網に木の根が掛かる事が3度重なり、不思議に思った漁師があらためると神像のようであったので、近くの松の下に祀って、持っていた麦こがしを供えたところ、その夜の夢に五十猛命が現れ、潮騒が耳障りであるとの神託があり、現在地に遷祀したといい、木の根を神体としたところから「木の宮」と称えたという。

漂着物を祀ったのに始まり、祭神を木の神五十猛命とするなど、キノミヤ信仰が顕著に認められる神社である。

なお、坂上田村麻呂が戦勝を祈願し、当社の分霊を東北地方を始め各地に鎮座させたという伝承もある。

神事 

例祭(こがし祭) 7月15日

創建の事情に因んで、麦こがしを中心に百合根、橙、ところを供える。また例祭にあわせて、7月15・16日の両日、木の根を拾った大浜海岸まで神輿の渡御がある。その道中、天狗面に高足駄を履き猿田彦神に扮した者が麦こがしを撒き散らし、これを浴びると夏の病気に罹らないという。また鹿島踊の奉納も行われる。なお、木の根を拾ったのが旧暦6月15日であったので、この日に祭典を行っていたが、明治以降新暦に改めた。

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神木 大楠 

樹齢2000年以上 幹周23.9m 高さ約26m

国指定天然記念物(昭和8年2月28日 文部省指定)

当社の江戸末期までの呼称「木宮明神」の由来となったご神木で「神にお降り願う木」である。「不老長寿」「無病息災」の象徴で、周囲を一周すると「寿命が1年延びる」「願いが叶う」とされている「長寿の神木、成就の神木」として信仰を集めている。

境内社

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來宮総社稲荷社

参道の左側にある。

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三峯神社

参道の右側にある。昭和初期に境内末社として埼玉県の三峰神社より祀られた。

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來宮弁財天社

社殿の右手前にある。

※以上、文章はWikipedia、境内案内板、リーフレットを抜粋・加筆・編集

 

観光客の参拝が多いためか案内板、リーフレットなどの説明が充実しており、境内のカフェなど観光客向けにも非常によく整備された神社だった。

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伊古奈比咩命神社

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いこなひめのみことじんじゃ 公式サイト

静岡県下田市白浜にある。

式内社(名神大社)。旧社格は県社。現在は神社本庁の別表神社。

通称は白濱神社(白浜神社)。社名は明治以降定められたもので、それまでは白濱大明神、白濱神社、白濱大社、白濱五社大明神などと称された。五社大明神は祭神数に由来する。三嶋神の旧鎮座地(古宮)であるという伝承から、「古宮山大明神」「古宮山五社大明神」という呼称も使用された。

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ご祭神は次の5柱で、ご神体は5柱とも神鏡である。

主祭神 伊古奈比咩命:三嶋大明神の后神。

相殿神 三嶋大明神:伊豆国一宮の三嶋大社(静岡県三島市)祭神。別名、事代主命。

見目(みめ、見目大神):女神。三嶋大明神の随神。

若宮(若宮大神):男神。三嶋大明神の随神。

剣の御子(つるぎのみこ、劔御子大神):男神。三嶋大明神の随神。

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創建は社伝によると、まず三嶋神が南方から海を渡って伊豆に至り、富士山の神・高天原の神から伊豆の地を授けられ、白浜に宮を築き、伊古奈比咩命を后に迎えた。

さらに、見目・若宮・剣の御子の3柱や竜神・海神・雷神などとともに伊豆諸島の島焼き(造島)を行なった。島焼きによって、初島に始まり神津島・大島・三宅島・八丈島など合計10の島々を造り、自身は三宅島に宮を営んだ。その後しばらくして、白浜に還ったという。

以上の伝承は、伊豆地方に伝わる縁起『三宅記』(鎌倉時代末期と推定)に記載されるものだそうで、同書では島焼き以前に白浜を宮としたかについては記載はないが、孝安天皇(第6代)元年に三嶋神は天竺から至り、孝安天皇21年から島焼きを行なったとする。伊古奈比咩命神社の鎮座する火達山からは多くの祭器具が見つかっており、当地では古代から祭祀が行われていたものと推測されている。

また、『三宅記』では、三嶋神は伊豆府中の現在地以前には白浜にあったとされており、天長9年(832)記事の「神宮二院」の表現や、『延喜式』神名帳の賀茂郡における三嶋神・伊古奈比咩命の登載はそれを示唆するものとされている。

加えて『宴曲抄』「三島詣」や『矢田部氏系図』では、天平年間(729 - 749)頃の三嶋神の国府遷祀を伝える。

伊古奈比咩命神社社誌では、これらを総合して、三嶋神は奈良時代頃に国府近くに新宮として勧請、その後元宮は衰退して治承4年(1180)までには地位が逆転したとする。また、元宮の地については、伊古奈比咩命神社北西の神明(かみあけ)の地と推測されている(異説もある)。

明治6年(1873)9月、近代社格制度において県社に列した。戦後は神社本庁の別表神社に列している。

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本殿の入口

祭事

火達祭(ひたちさい) 10月28日(例祭1日目)
例祭 10月29日(例祭2日目)
御幣流し祭(おんべいながしさい/おんべ-) 10月30日(例祭3日目)

酉祭 4月と11月の初酉日

神階

六国史における神階奉叙の記録

天長9年(832)5月22日、名神に預かる (『釈日本紀』所引『日本後紀』逸文) 。表記は「伊古奈比咩神」。
嘉祥3年(850)10月8日、従五位上 (『日本文徳天皇実録』)。表記は「伊古奈比咩命神」。
嘉祥3年(850)11月1日、官社に列す (同) 。表記は「伊古奈比女神」。
仁寿2年(852)12月15日、正五位下 (同) 。表記は「伊古奈比咩命神」。
斉衡元年(854)6月26日、正五位下 (同) 。表記は「伊古奈比咩神」。
六国史以後 一品 (『伊豆国神階帳』) 。表記は「当きさの宮」。

境内社

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二十六社神社

大正10年(1921)の遷宮に際し、境内社26社を1社に合祀した。元々は、社家の各家で氏神として祀られていた。内訳は少彦名命神社、御子神社、応神神社、須佐之男命神社、天児屋根命神社、天水分命神社、天照皇大神社、級長戸辺神社、木花開耶姫命神社、瀬織津姫命神社、倉稲魂命神社、豊宇気姫命神社、経津主神社、熊野神社、海津見神社、海津豊玉彦神社、大年神社、石長比売命神社、若宮八幡宮、亥神社、大雷神社、高皇産霊神社、金山毘古命神社、金山比売命神社、大山祇神社、豊受大神宮。

境内左側にある。

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砂村稲荷神社

境内左側、本殿への石段の入口にある。

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見目弁財天社

境内左側のいちばん手前にある。

聖徳太子命神社

拝殿の左側、砂村稲荷神社との間にある。

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目の神様

本殿への石段の途中にある。

境外社

十二神明社

ご祭神は、大楠命、小楠命、御代徳命、感農八甕命、横池命、伊迦命、知宇命、尾健御子命、尾健比命、見多諾命、伊豆奈比咩命、穂便感応命。

文化15年(1818)の縁起に見える神明周辺の神々をのちに合祀したもの。特徴的な神名が多く、三嶋神の一族神に相当すると推測されている。このことから、当地が三嶋神(三嶋大社)の旧鎮座地に相当すると推測されており、また、当地を天長9年(832)以前の三嶋神・伊古奈比咩命の鎮座地とする伝承もあるそうだ。

大事な場所であったが、予習不足で訪れなかった。

 

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火達山

当社のある白浜海岸の丘陵地である。

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大明神岩と海浜鳥居

例祭の3日目の夕方に神社裏の海岸において御幣流し祭が行われ、神事では島々への遥拝ののち、大明神岩から幣串と神饌を海中に投じる。このとき、必ず「御幣西(おんべにし)」と称する西風が吹くという。この左側に御釜と称される窪みがある。

※以上、文章はWikipedia、境内案内板を抜粋・加筆・編集

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2016年12月25日 (日)

杉山神社(横浜市緑区)

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すぎやまじんじゃ 公式サイト(なし)

横浜市緑区西八朔町にある。JR横浜線の十日市場駅より徒歩約13分、中山駅北口よりバスで約6分。

式内社論社。武蔵国六宮。

横浜市内で唯一の式内社である「杉山神社」の論社の一つ。

武蔵国六宮として大國魂神社のくらやみ祭に参列しており、武州六大明神の一つとされている。

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ご祭神は、主祭神に五十猛命を祀り、 大日霊貴命・素戔嗚尊・太田命を配祀している。

南北朝時代中期に成立した『神道集』第三巻に「武蔵六所大明神事」があり、当時は椙山大明神(すぎやまだいみょうじん)と称して、本地仏を大聖不動明王としていた。

文化・文政期に編まれた『新編武蔵風土記稿』は、江戸時代には神体が不動明王の立像であったという。

『続日本後紀』には「枌山神社」(すぎやまじんじゃ)とあり、延喜式神名帳には「武蔵国都筑郡唯一の官社」として杉上神社の名が記載されている(ただし論社は複数存在する)。

また、大國魂神社の六所明神の一所として祀られている。

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創建時期は不明である。

当社に残る棟札や別当寺である極楽寺(現在も隣地に所在)の墓碑年号より当社は延宝年間(1673 - 1681)に現地へ遷座したものと考えられており、これ以前には西北方300mの山麓に鎮座していた。

『武蔵風土記』によると、慶安2年(1649)8月に徳川幕府より朱印状と朱印領5石6斗が与えられた。

この他、当社は江戸時代に「六ノ宮」とも称されていた。

明治6年(1873)12月に郷社に列格し、明治43年(1910)には付近の無格社、神明社など4社を合祀した。

大正9年(1920)9月、神奈川県告示第三六二号により神饌幣帛料供進神社に指定された。

昭和28年(1953)8月には神奈川県指令第三九九〇号により、「宗教法人杉山神社」として認証された。

現在の社殿は昭和57年(1982)11月に改築されたものである。

 

当社が『続日本後紀』あるいは延喜式神名帳(式内社)の論社であると説いたのは、幕末に大國魂神社の宮司であった猿渡盛章であり、栗田寛『神祇志料』や『大日本史神祇志』などでも有力とされている。

しかし、杉山神社(または杉山社、椙山神社)という名称の神社は都筑郡(横浜市北部)と周辺に数十社あり、いずれが正しいかは不明である。『新編武蔵風土記稿』(1810 - 1830)によると、杉山神社は関東地方四郡に七十数社在ったという。それらの多くは、日本武尊か五十猛命のいずれかまたは両方を祭神としている。

有力な論社としては当社の他に港北区新吉田町、都筑区茅ケ崎中央、都筑区中川六丁目などの社も挙げられている。当社も他の多くの論社と同様、鶴見川水系(恩田川)沿いの高台に鎮座している。

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新しい社号標の前の道路を越えて進むと、古い社号標があった。鳥居はなかったが、参道はこの辺りからなのだろう。

境内社

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稲荷神社

社殿右側にある。

社殿の左側にある小祠は確認しなかった。

※以上、文章はWikipedia、リーフレット、境内案内板を抜粋・加筆・編集

当社への参拝で、大國魂神社(東京都府中市)に祀られている武州六大明神のすべてにお参りできた。

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琴平神社(川崎市麻生区)

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ことひらじんじゃ 公式サイト1公式サイト2

川崎市麻生区王禅寺東にある。小田急線の柿生駅からバスで約10分。

地域名を表す「武州柿生」を冠している。

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ご祭神は天照皇大御神と琴平大神を祀っている。

創建年代は不詳である。

公式サイトによれば、元亀元年(1570)から祀られていると伝えられており、文献上の初見は志村家に伝わる古文書で、1711年以前に伊勢山の地に神明社があったと記されているという。

文政9年(1826)に、伊勢山の地に志村文之丞によって四国の金刀比羅宮の祭神を勧請し、神明社・琴平社の合社が再建された。

昭和55年(1980)、琴平神社に改称し、神明社と琴平社の合社相殿の右側に天照皇大御神を、左側に琴平大神をそれぞれ祀った。

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琴平銭洗弁天社

ご祭神は弁財天である。

文化元年の創建。元々は王禅寺内にあったそうで、巳待講により蓮沼に江の島の形をしたものとして築かれたが痛んだので、その後、地域の名主である志村弥五右衛門という人が修復したそうである。

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稲荷社(福寿稲荷・お多賀さん)

ご祭神は稲荷大明神、多賀大明神、塩釜大明神である。 

まず、文政7年(1824)に嬬恋稲荷総社(関東廿八ヶ國稲荷総社、群馬県)から、御神霊が移され、弘化三年の再建で「福寿稲荷大明神」に改称し、三座に多賀大明神・塩釜大明神・稲荷大明神が鎮座した。

多賀社・塩釜社・稲荷社の三社を「お多賀さん」と総称している。

多賀大明神は多賀大社(滋賀県)の神で、伊邪那岐命、伊邪那美命を祀っている。

塩釜大明神は塩釜神社(宮城県)の神で、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)、鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)を祀っている。

※以上、文章は公式サイト、境内案内板を抜粋・加筆・編集

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2016年11月14日 (月)

金澤神社

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かなざわじんじゃ。石川県金沢市兼六町にある。

ご祭神は、菅原道真公、白蛇竜神(金運・災難除の神)、白阿紫稲荷大明神(商売繁盛の神)、琴平大神(交通安全)、前田斉広(なりなが)公(12代藩主)、前田斉泰(なりやす)公(13代藩主)。

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創建は寛政6年(1794)。加賀藩11代藩主である前田治脩(はるなが)は、兼六園の現在の梅林の地に藩校明倫堂を建て、その鎮守社として金城霊澤のほとりに、菅原道真公の御舎利を奉斉する神社を創建した。

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詳細は一度書いているので、写真を中心に掲載する。

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拝殿。

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白阿紫稲荷大明神。境内左側にある。

第13代藩主 前田斉泰公が領内の繁栄を祈願し奉斎した。春秋の例祭には一般婦女子の参拝が許された。

明治維新後の一時期東京の前田邸に移されたが崇敬する旧藩士などの懇請により、再びこの地に祀られることになった。

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富山縣護國神社

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とやまけんごこくじんじゃ。富山県富山市にある。

旧内務大臣指定護国神社。現在は神社庁の別表神社。

ご祭神は、富山県出身の明治維新から大東亜戦争(太平洋戦争)までの戰歿英霊28,679柱である。

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明治45年(大正元年・1912)3月に富山縣招魂社として設立が認められ、富山県知事が建設委員長となって翌大正2年(1913)8月に竣工、10月に鎮座が行われた。

昭和14年(1939)、富山縣護國神社に改称した。

昭和20年(1945)の富山大空襲によって、手水舎などごく一部の建物を除いて社殿を焼失した。

社殿は昭和29年(1954)に再建された。現在の大拝殿は平成3年(1991)に創建80周年を記念して竣工した。

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本殿の右側に伊佐雄志神社がある。

富山大空襲による戰災殉難者、治安の維持と公共の災害防護その他安定のために殉職した自衛官、警察官、消防團員、消防署員、郵便局員及び地方功労者を祭神として祀る。

戦災により社殿が焼失したが、昭和50年(1975)に富山縣護國神社終戦30周年記念事業として造営、8月1日に竣工した。

平成22年(2010)9月に現在の伊佐雄志神社に改称した。

遺芳館には戰歿英靈の遺書等を展示している。

※以上、文章はWikipediaを抜粋・加筆・編集

 

御朱印をいただくときに、ご神職が神社について説明してくださり、御朱印帳に富山県出身の高田豊志氏の遺詠を書いてくださった。

 夢にだに 忘れぬ母の涙をば いだきて三途の橋を渡らむ

富山縣護國神社のホームページには、創建90周年記念でまとめた「遺芳録」が掲載されており、高田豊志氏は高田豊志命として最初に紹介されている。

記事によると、陸運少年飛行兵第十三期生で、昭和二十年五月十三日に沖縄本島西海岸沖にて特攻戦死した。数え年で二十一歳であった。遺品の大学ノートに歌や文章が残されていた。

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