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2016年12月26日 (月)

伊古奈比咩命神社

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いこなひめのみことじんじゃ 公式サイト

静岡県下田市白浜にある。

式内社(名神大社)。旧社格は県社。現在は神社本庁の別表神社。

通称は白濱神社(白浜神社)。社名は明治以降定められたもので、それまでは白濱大明神、白濱神社、白濱大社、白濱五社大明神などと称された。五社大明神は祭神数に由来する。三嶋神の旧鎮座地(古宮)であるという伝承から、「古宮山大明神」「古宮山五社大明神」という呼称も使用された。

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ご祭神は次の5柱で、ご神体は5柱とも神鏡である。

主祭神 伊古奈比咩命:三嶋大明神の后神。

相殿神 三嶋大明神:伊豆国一宮の三嶋大社(静岡県三島市)祭神。別名、事代主命。

見目(みめ、見目大神):女神。三嶋大明神の随神。

若宮(若宮大神):男神。三嶋大明神の随神。

剣の御子(つるぎのみこ、劔御子大神):男神。三嶋大明神の随神。

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創建は社伝によると、まず三嶋神が南方から海を渡って伊豆に至り、富士山の神・高天原の神から伊豆の地を授けられ、白浜に宮を築き、伊古奈比咩命を后に迎えた。

さらに、見目・若宮・剣の御子の3柱や竜神・海神・雷神などとともに伊豆諸島の島焼き(造島)を行なった。島焼きによって、初島に始まり神津島・大島・三宅島・八丈島など合計10の島々を造り、自身は三宅島に宮を営んだ。その後しばらくして、白浜に還ったという。

以上の伝承は、伊豆地方に伝わる縁起『三宅記』(鎌倉時代末期と推定)に記載されるものだそうで、同書では島焼き以前に白浜を宮としたかについては記載はないが、孝安天皇(第6代)元年に三嶋神は天竺から至り、孝安天皇21年から島焼きを行なったとする。伊古奈比咩命神社の鎮座する火達山からは多くの祭器具が見つかっており、当地では古代から祭祀が行われていたものと推測されている。

また、『三宅記』では、三嶋神は伊豆府中の現在地以前には白浜にあったとされており、天長9年(832)記事の「神宮二院」の表現や、『延喜式』神名帳の賀茂郡における三嶋神・伊古奈比咩命の登載はそれを示唆するものとされている。

加えて『宴曲抄』「三島詣」や『矢田部氏系図』では、天平年間(729 - 749)頃の三嶋神の国府遷祀を伝える。

伊古奈比咩命神社社誌では、これらを総合して、三嶋神は奈良時代頃に国府近くに新宮として勧請、その後元宮は衰退して治承4年(1180)までには地位が逆転したとする。また、元宮の地については、伊古奈比咩命神社北西の神明(かみあけ)の地と推測されている(異説もある)。

明治6年(1873)9月、近代社格制度において県社に列した。戦後は神社本庁の別表神社に列している。

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本殿の入口

祭事

火達祭(ひたちさい) 10月28日(例祭1日目)
例祭 10月29日(例祭2日目)
御幣流し祭(おんべいながしさい/おんべ-) 10月30日(例祭3日目)

酉祭 4月と11月の初酉日

神階

六国史における神階奉叙の記録

天長9年(832)5月22日、名神に預かる (『釈日本紀』所引『日本後紀』逸文) 。表記は「伊古奈比咩神」。
嘉祥3年(850)10月8日、従五位上 (『日本文徳天皇実録』)。表記は「伊古奈比咩命神」。
嘉祥3年(850)11月1日、官社に列す (同) 。表記は「伊古奈比女神」。
仁寿2年(852)12月15日、正五位下 (同) 。表記は「伊古奈比咩命神」。
斉衡元年(854)6月26日、正五位下 (同) 。表記は「伊古奈比咩神」。
六国史以後 一品 (『伊豆国神階帳』) 。表記は「当きさの宮」。

境内社

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二十六社神社

大正10年(1921)の遷宮に際し、境内社26社を1社に合祀した。元々は、社家の各家で氏神として祀られていた。内訳は少彦名命神社、御子神社、応神神社、須佐之男命神社、天児屋根命神社、天水分命神社、天照皇大神社、級長戸辺神社、木花開耶姫命神社、瀬織津姫命神社、倉稲魂命神社、豊宇気姫命神社、経津主神社、熊野神社、海津見神社、海津豊玉彦神社、大年神社、石長比売命神社、若宮八幡宮、亥神社、大雷神社、高皇産霊神社、金山毘古命神社、金山比売命神社、大山祇神社、豊受大神宮。

境内左側にある。

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砂村稲荷神社

境内左側、本殿への石段の入口にある。

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見目弁財天社

境内左側のいちばん手前にある。

聖徳太子命神社

拝殿の左側、砂村稲荷神社との間にある。

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目の神様

本殿への石段の途中にある。

境外社

十二神明社

ご祭神は、大楠命、小楠命、御代徳命、感農八甕命、横池命、伊迦命、知宇命、尾健御子命、尾健比命、見多諾命、伊豆奈比咩命、穂便感応命。

文化15年(1818)の縁起に見える神明周辺の神々をのちに合祀したもの。特徴的な神名が多く、三嶋神の一族神に相当すると推測されている。このことから、当地が三嶋神(三嶋大社)の旧鎮座地に相当すると推測されており、また、当地を天長9年(832)以前の三嶋神・伊古奈比咩命の鎮座地とする伝承もあるそうだ。

大事な場所であったが、予習不足で訪れなかった。

 

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火達山

当社のある白浜海岸の丘陵地である。

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大明神岩と海浜鳥居

例祭の3日目の夕方に神社裏の海岸において御幣流し祭が行われ、神事では島々への遥拝ののち、大明神岩から幣串と神饌を海中に投じる。このとき、必ず「御幣西(おんべにし)」と称する西風が吹くという。この左側に御釜と称される窪みがある。

※以上、文章はWikipedia、境内案内板を抜粋・加筆・編集

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