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2016年6月 9日 (木)

筑摩神社(松本市)

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つかまじんじゃ。長野県松本市筑摩にある。

旧県社。

※「筑摩」は「つかま」と読む。現在の長野県に当たる地域で筑摩と表記されて「ちくま」と読まれている名称は元来「つかま」と読まれていたが、読みにくいため明治維新の際「ちくま」に変更された。奈良時代は「束間」と書かれていた。現在「つかま」と読むものに、当社以外に松本市の筑摩(1〜4丁目)、筑摩小学校、筑摩遺跡がある。

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ご祭神は、

八幡神の息長帯比売命(神功皇后)、誉田別命(応神天皇)

宗像三女神の多紀利比売命、狭依比売命、多岐津比売命

を祀る。

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創建は、延暦13年(794)、石清水八幡宮より勧請を受けて創建され、正八幡宮の別名がある。

また、信濃国府の松本遷府以後は国府八幡宮とも称し、鎌倉以後は信濃守護の小笠原氏の祖神として崇敬された。

拝殿に「筑摩神社の没革略記」が掲示されていた。内容はつぎのとおりである。

今より千二百五十年前、桓武天皇の時代に八面大王という鬼賊が信濃国安曇郡有明村に住んでいた。その身の大きさは十余尺もあって、その顔は見るも恐ろしいほど鬼面で近隣の村人に危害与えていた。時の御帝桓武天皇は、坂上田村麿を召されて征伐するよう命ぜられた。そこで田村麿は京都の岩清水八幡宮に二十一日間参篭して祈願をかけた。そこで、信濃国の国府の里に八幡宮を祀れば賊平定は成就すると霍験があったのである。それで田村麿は岩清水八幡宮の御分神をはるばる信濃の国に奉待して、こられ、只今の筑摩の地に八幡宮を祀りました。(原文ママ)

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拝殿

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本殿

本殿は永享8年(1436)に焼失した後、同11年(1439)に小笠原政康により再建され、室町時代の建築様式をそのまま残している。松本地方最古の建造物であり、国の重要文化財に指定されている。

また、拝殿は慶長15年(1610)に松本藩主石川氏によって造営されたもので長野県宝、銅鐘は筑摩神社別当寺の安養寺(廃寺)の梵鐘で、永正11年(1514)に小笠原長棟が寄進した旨の陰刻があり松本市指定重要文化財である。

※以上、文章はWikipedia、当社掲示物の内容を抜粋・編集

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