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2016年6月 9日 (木)

穂高神社

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ほたかじんじゃ。長野県安曇野市穂高にある神社。

式内社(名神大社)。信濃国三宮。旧国幣小社。現在は神社本庁の別表神社。

安曇野市穂高の本宮(里宮)のほか、松本市安曇の上高地に奥宮、奥穂高岳山頂に嶺宮があることから、「日本アルプスの総鎮守」の通称がある。

毎年9月27日に行われる例大祭(御船祭)が有名である。

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ご祭神は次のとおり。

中殿:穂高見命(ほたかみのみこと)。別名を「宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)」。綿津見命の子。

左殿:綿津見命(わたつみのみこと)。 海神で安曇氏の祖神。

右殿:瓊々杵命(ににぎのみこと)

 

別宮:天照大御神(あまてらすおおみかみ)

若宮:安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)

若宮相殿:信濃中将(しなのちゅうしょう) - 御伽草子のものぐさ太郎のモデルとされる。

 

穂高神社一帯は古来より安曇氏(あづみし/あずみし、阿曇氏とも表記)の定着地とされる。

『新撰姓氏録』には安曇氏に関連する記載として以下の3条が知られる。

右京神別 安曇宿禰条 - 海神綿積豊玉彦神の子の穂高見命の後。

右京神別 凡海連 - 海神綿積命神の男の穂高見命の後。

河内国神別 安曇連 - 綿積神命の児の穂高見命の後。

穂高神社祭神を「穂高見命」と見る説は、社名とこれらの条との関係づけによる。

なお、『古事記』神代記には、ワタツミ(綿津見神・綿積神)の子で阿曇氏の祖として「宇都志日金拆命」の記載があり、穂高神社側ではこれを穂高見命の別名としている。

ワタツミの子には他に、ヒコホホデミの妻・トヨタマヒメや、ウガヤフキアエズの妻で神武天皇の母・タマヨリビメがいる。

一方で、社名「穂高神社」はあくまでも「穂高の神の社」または「穂高に坐す神社」の意に過ぎないとの指摘もある。

なお、祭神は古くは一座であったが(『延喜式』神名帳)、中世に大宮・南宮・若宮の三殿とし、天文18年(1549)の文書では「五所大明神」と五所(祭神不詳)を称してもいる。

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創建は不詳。当地は安曇郡の郡域にあり、定着した安曇氏によって当郡が建郡されたと見られている。そしてその安曇氏によって祖神が祀られたのが創祀とされる。

安曇氏とは海人の一族で、福岡県志賀島の志賀海神社が発祥地とされる。 安曇氏は北九州を中心として栄え、その活動範囲を東方へも広げていったとされる。当郡への定着は、信濃における部民制や当地の古墳の展開から6世紀代と推定されている。その要因には蝦夷地域開拓の兵站基地として、ヤマト王権からの派遣が考えられている。

安曇郡の式内社には他に川会神社があるが、こちらでも安曇氏系の綿津見神が祭神とされている。

穂高神社の西方には多くの古墳が築かれているが、穂高神社付近は神域として避けられたと考えられ、穂高神社一帯が勢力の中心地域であったと見られている。

なお、当郡における安曇氏の初見は、「正倉院御物布袴墨書銘」の天平宝字8年(764)である。ただしここには「安曇部」の記載しかないため、あくまでも安曇氏の部曲(かきべ)が当地に設置されたに過ぎないという考えもある。

文献の初見は、天安3年(859)2月11日に「宝宅神」に対して従五位下から従五位上への神階昇叙がなされたという記録である。

『延喜式』神名帳では信濃国安曇郡に「穂高神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。また、天正13年(1585)に記された『三宮穂高社御造宮定日記』に見えるように、信濃国三宮を称していた。

中世以来安曇郡一帯を治めた国人領主仁科氏が滅亡すると、安曇郡は松本城主の所領とされ、天正10年(1582)に同城主となった小笠原貞慶は神領として土地を寄進し、小笠原秀政からは累代受け継いで式年の遷宮や祭祀の厳修に努めた。

古くは諏訪大社の影響もあり、『定日記』によれば境内には諏訪神を祀る南宮があり、御柱を立てる習慣もあった。また仏教の影響も強く、文書によると中世には境内に神宮寺があり、江戸時代には本殿の西南に薬師堂があり本堂としていた。

文禄年間(1592-1596)には穂高神社に15石、神宮寺に3石の朱印が安堵されている。 神職は、古くは安曇氏だったと見られるが、中世には大伴氏が務め、のちには仁科氏に代わっている。

明治に入ってからは、明治5年(1872)に近代社格制度において郷社に列格、明治15年(1882)に県社、昭和15年(1940)に国幣小社に昇格した。

神階は、天安3年(859)2月11日、従五位下から従五位上 (『日本三代実録』) 。表記は「宝宅神」。

本宮(里宮)の本殿は形式の等しい右殿・中殿・左殿が並ぶ三殿方式で、この三殿と規模の小さい神明社が一直線に並ぶ。

このうち中殿には、穂高神社だけに伝わる独特の形式の「千木(ちぎ)」と「勝男木(かつおぎ)」が乗せられている。勝男木は釣竿または船の帆柱を表していると言われ、この形式は「穂高造」といわれる。

式年の遷宮祭では、『定日記』に定められた方式で社殿の造替・配置替が行われる。

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境内では、拝殿の前に神楽殿が立ち、その右手に若宮社と境内社数社が鎮座している。

そのほか、手洗石と手水舎、神橋が安曇野市指定文化財に、大門の欅と若宮西の欅が安曇野市指定天然記念物に指定されている。

天保14年(1843)の『善光寺道名所図会』には穂高神社が載せられており、当時の境内の様子がうかがわれる。

※以上、文章はWikipedia、公式ホームページ、当社冊子を抜粋・編集

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穂高霊社

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八王子社(左)、菅原社(中)、歌神社(右)

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阿曇比羅夫之像

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安曇野は素朴な石神「道祖神」が多く祀られている。

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縁結びの道祖神

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健康長寿道祖神像

長野県が平成25年に平均寿命(男女とも)が全国一の長寿県になったことを記念に建立。

日本一の道祖神。ステンレス製。

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