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2016年6月

2016年6月30日 (木)

神社巡拝一覧(一宮以外の神社)

※印は参拝した時間などの問題で、ご朱印をいただかなかったお社、▲印は山の頂上や海上などにある本宮・奥宮・奥社に、まだお参りしていないお社。

    
北海道

東北
出羽三山神社   大崎八幡宮
御釜神社

関東
赤城神社(大洞三夜沢※)  二宮赤城神社※ 
榛名神社   妙義神社
中之嶽神社・甲子大國神社   伊香保神社※  
日光東照宮   古峯神社   唐沢山神社
大洗磯前神社   酒列磯前神社   笠間稲荷神社
筑波山神社   加波山三枝祇神社※  大杉神社
二宮神社(船橋市) 千葉神社  小御門神社
調神社   鷲宮神社   金鑚神社   箭弓稲荷神社
氷川神社(川越市)  高麗神社
三峯神社  寳登山神社
武蔵御嶽神社  大国魂神社  二宮神社(あきる野市)
明治神宮   東京大神宮   東郷神社   乃木神社
築土神社※  鎧神社(新宿区)※ 於岩稲荷田宮神社
浅草神社   湯島天満宮  赤城神社(新宿区)
芝大神宮   日枝神社(赤坂)  氷川神社(赤坂)  亀戸天神社
神田神社   根津神社   白山神社   王子神社   富岡八幡宮
品川神社   荏原神社  王子稲荷神社  花園神社   
出雲大社東京分祠  金刀比羅宮(虎ノ門)  水天宮(東京)
香取神社(江戸川区)
蒲田八幡神社  羽田神社   穴守稲荷神社  
鳩森八幡宮   大宮八幡宮  井草八幡宮  武蔵野八幡宮
東伏見稲荷神社  田無神社  杵築大社
谷保天満宮
鎌倉宮   荏柄天神社   銭洗弁財天宇賀福神社   江島神社
大山阿夫利神社▲   箱根神社▲ 

甲信越
金櫻神社   武田神社
武水別神社   手長神社※   小野神社・矢彦神社※※
若一王子神社  穂高神社   生島足島神社
戸隠神社(宝光社・火之御子社中社奥社・九頭龍社
上田大神宮※   鼻顔稲荷神社
沙田神社※  深志神社  四柱神社  松本神社
筑摩神社(松本市)
八海山尊神社
日枝神社(富山市)
天日陰比咩神社   伊須流岐比古神社※   羽咋神社
大野湊神社   菅生磯部神社  
金澤神社   尾山神社   尾崎神社
莵橋神社※  安宅住吉神社
劔神社   金崎宮   福井神社   佐佳枝廼社  柴田神社  
神明神社(福井市)  藤島神社  足羽神社  総社大神宮
弁財天白龍王大権現(竹原弁財天)※   平泉寺白山神社

中部
伊豆山神社▲ 
静岡浅間神社   久能山東照宮
秋葉山本宮秋葉神社(上社下社)  井伊谷宮
熱田神宮   大縣神社   田縣神社   尾張大国霊神社(国府宮)
那古野神社※  若宮八幡社  津島神社
伊奈波神社  長滝白山神社※   白鳥神社
飛騨総社   櫻山八幡宮

近畿
神宮(外宮、内宮、 (伊雑宮)、 瀧原宮)   多度大社
花窟神社※   産田神社※
日吉大社▲  多賀大社   御上神社   日牟禮八幡宮  
近江神宮   白鬚神社  (太郎坊宮)  山津照神社
都久夫須麻神社  長濱八幡宮  豊国神社(長浜市)
石清水八幡宮   松尾大社   平野神社   伏見稲荷大社
大原野神社   梅宮大社   吉田神社   八坂神社  
北野天満宮  御霊神社   下御霊神社  
貴船神社(本宮奥宮※)   平安神宮   白峯神宮   城南宮
今宮神社   護王神社   建勲神社   豊国神社   梨木神社  
新熊野神社   長岡天満宮  大川神社
生國魂神社   水無瀬神宮   大阪天満宮   今宮戎神社  
高津宮   四條畷神社  阿倍野神社
海神社   生田神社   長田神社   湊川神社
廣田神社   西宮神社   御形神社※   自凝島神社
春日大社   石上神宮   大和神社   廣瀬大社   龍田神社
丹生川上神社(上社中社下社)   吉野神宮   橿原神宮
高鴨神社   桧原神社   與喜天満神社   談山神社
等彌神社※   竈山神社   丹生官省符神社  
熊野速玉大社※・熊野本宮大社※・熊野那智大社※

中国
速谷神社  多家神社※  比治山神社  饒津神社
亀山神社  福山八幡宮  沼名前神社
大神山神社(本社・奥宮)   白兎神社
佐太神社   神魂神社   八重垣神社  須佐神社   須我神社
平濱八幡宮・武内神社   賣布神社   長浜神社
日御碕神社   美保神社
太鼓谷稲成神社   元乃隅稲成神社
山口大神宮  出雲神社(山口市)※  仁壁神社
古熊神社※  豊榮神社※  野田神社※  今八幡宮
琴崎八幡宮
赤間神宮   忌宮神社   龍王神社
福徳稲荷神社   亀山八幡宮  防府天満宮

四国
金刀比羅宮▲   津峯神社   忌部神社※   阿波神社

九州
宗像大社(辺津宮)   宮地嶽神社   香椎宮   志賀海神社  
櫛田神社   鷲尾愛宕神社   十日恵比須神社   水鏡天満宮  
警固神社   光雲神社   紅葉八幡宮  高祖神社
曩祖八幡宮
御祖神社(足立山妙見宮) 甲宗八幡宮  和布刈神社
大宰府天満宮   竈門神社▲  水天宮   宇美八幡宮
風浪宮   英彦山神宮▲   大富神社
春日神社(大分市)   八幡朝見神社
輿賀神社  佐嘉神社
田島神社  唐津神社  鏡神社
祐徳稲荷神社  櫛田宮
諏訪神社(長崎市)
北岡神社   藤崎八幡宮   健軍神社  出水神社
高橋稲荷神社  大宮神社   菊池神社
国造神社(阿蘇市)※   甲佐神社※   郡浦神社
八代神社   八代宮    青井阿蘇神社  
照國神社   霧島神宮   蛭児神社
加紫久利神社   米ノ津天満宮
壱岐神社※  和多都美神社

招魂社・護国神社
靖国神社
長野縣護國神社
富山縣護國神社  石川護國神社  福井縣護國神社
愛知縣護國神社  濃飛護國神社  岐阜護國神社
滋賀縣護國神社  
壱岐護國神社

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2016年6月 9日 (木)

穂高神社

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ほたかじんじゃ。長野県安曇野市穂高にある神社。

式内社(名神大社)。信濃国三宮。旧国幣小社。現在は神社本庁の別表神社。

安曇野市穂高の本宮(里宮)のほか、松本市安曇の上高地に奥宮、奥穂高岳山頂に嶺宮があることから、「日本アルプスの総鎮守」の通称がある。

毎年9月27日に行われる例大祭(御船祭)が有名である。

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ご祭神は次のとおり。

中殿:穂高見命(ほたかみのみこと)。別名を「宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)」。綿津見命の子。

左殿:綿津見命(わたつみのみこと)。 海神で安曇氏の祖神。

右殿:瓊々杵命(ににぎのみこと)

 

別宮:天照大御神(あまてらすおおみかみ)

若宮:安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)

若宮相殿:信濃中将(しなのちゅうしょう) - 御伽草子のものぐさ太郎のモデルとされる。

 

穂高神社一帯は古来より安曇氏(あづみし/あずみし、阿曇氏とも表記)の定着地とされる。

『新撰姓氏録』には安曇氏に関連する記載として以下の3条が知られる。

右京神別 安曇宿禰条 - 海神綿積豊玉彦神の子の穂高見命の後。

右京神別 凡海連 - 海神綿積命神の男の穂高見命の後。

河内国神別 安曇連 - 綿積神命の児の穂高見命の後。

穂高神社祭神を「穂高見命」と見る説は、社名とこれらの条との関係づけによる。

なお、『古事記』神代記には、ワタツミ(綿津見神・綿積神)の子で阿曇氏の祖として「宇都志日金拆命」の記載があり、穂高神社側ではこれを穂高見命の別名としている。

ワタツミの子には他に、ヒコホホデミの妻・トヨタマヒメや、ウガヤフキアエズの妻で神武天皇の母・タマヨリビメがいる。

一方で、社名「穂高神社」はあくまでも「穂高の神の社」または「穂高に坐す神社」の意に過ぎないとの指摘もある。

なお、祭神は古くは一座であったが(『延喜式』神名帳)、中世に大宮・南宮・若宮の三殿とし、天文18年(1549)の文書では「五所大明神」と五所(祭神不詳)を称してもいる。

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創建は不詳。当地は安曇郡の郡域にあり、定着した安曇氏によって当郡が建郡されたと見られている。そしてその安曇氏によって祖神が祀られたのが創祀とされる。

安曇氏とは海人の一族で、福岡県志賀島の志賀海神社が発祥地とされる。 安曇氏は北九州を中心として栄え、その活動範囲を東方へも広げていったとされる。当郡への定着は、信濃における部民制や当地の古墳の展開から6世紀代と推定されている。その要因には蝦夷地域開拓の兵站基地として、ヤマト王権からの派遣が考えられている。

安曇郡の式内社には他に川会神社があるが、こちらでも安曇氏系の綿津見神が祭神とされている。

穂高神社の西方には多くの古墳が築かれているが、穂高神社付近は神域として避けられたと考えられ、穂高神社一帯が勢力の中心地域であったと見られている。

なお、当郡における安曇氏の初見は、「正倉院御物布袴墨書銘」の天平宝字8年(764)である。ただしここには「安曇部」の記載しかないため、あくまでも安曇氏の部曲(かきべ)が当地に設置されたに過ぎないという考えもある。

文献の初見は、天安3年(859)2月11日に「宝宅神」に対して従五位下から従五位上への神階昇叙がなされたという記録である。

『延喜式』神名帳では信濃国安曇郡に「穂高神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。また、天正13年(1585)に記された『三宮穂高社御造宮定日記』に見えるように、信濃国三宮を称していた。

中世以来安曇郡一帯を治めた国人領主仁科氏が滅亡すると、安曇郡は松本城主の所領とされ、天正10年(1582)に同城主となった小笠原貞慶は神領として土地を寄進し、小笠原秀政からは累代受け継いで式年の遷宮や祭祀の厳修に努めた。

古くは諏訪大社の影響もあり、『定日記』によれば境内には諏訪神を祀る南宮があり、御柱を立てる習慣もあった。また仏教の影響も強く、文書によると中世には境内に神宮寺があり、江戸時代には本殿の西南に薬師堂があり本堂としていた。

文禄年間(1592-1596)には穂高神社に15石、神宮寺に3石の朱印が安堵されている。 神職は、古くは安曇氏だったと見られるが、中世には大伴氏が務め、のちには仁科氏に代わっている。

明治に入ってからは、明治5年(1872)に近代社格制度において郷社に列格、明治15年(1882)に県社、昭和15年(1940)に国幣小社に昇格した。

神階は、天安3年(859)2月11日、従五位下から従五位上 (『日本三代実録』) 。表記は「宝宅神」。

本宮(里宮)の本殿は形式の等しい右殿・中殿・左殿が並ぶ三殿方式で、この三殿と規模の小さい神明社が一直線に並ぶ。

このうち中殿には、穂高神社だけに伝わる独特の形式の「千木(ちぎ)」と「勝男木(かつおぎ)」が乗せられている。勝男木は釣竿または船の帆柱を表していると言われ、この形式は「穂高造」といわれる。

式年の遷宮祭では、『定日記』に定められた方式で社殿の造替・配置替が行われる。

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境内では、拝殿の前に神楽殿が立ち、その右手に若宮社と境内社数社が鎮座している。

そのほか、手洗石と手水舎、神橋が安曇野市指定文化財に、大門の欅と若宮西の欅が安曇野市指定天然記念物に指定されている。

天保14年(1843)の『善光寺道名所図会』には穂高神社が載せられており、当時の境内の様子がうかがわれる。

※以上、文章はWikipedia、公式ホームページ、当社冊子を抜粋・編集

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穂高霊社

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八王子社(左)、菅原社(中)、歌神社(右)

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阿曇比羅夫之像

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安曇野は素朴な石神「道祖神」が多く祀られている。

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縁結びの道祖神

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健康長寿道祖神像

長野県が平成25年に平均寿命(男女とも)が全国一の長寿県になったことを記念に建立。

日本一の道祖神。ステンレス製。

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若一王子神社

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にゃくいちおうじじんじゃ。長野県大町市にある。

旧県社。現在は神社本庁の別表神社。

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ご祭神は以下の五柱の神を祀る。

若一王子(にゃくいちおうじ):熊野那智大社第五殿に祀られる神

天照大神(あまてらすおおみかみ)

伊弉冉尊(いざなみのみこと)

仁品王(にしなおう)

妹耶姫(いもやひめ)

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創建は、鎌倉時代、安曇郡一帯を治める国人領主の仁科盛遠が紀伊国熊野権現に詣でた際、那智大社第五殿に祀られる若一王子を勧請し、以降「若一の宮」(若一王寺、王子権現)と称されるようになったことによる。

その際、盛遠は後鳥羽上皇の知遇を得て西面武士として仕えた。

仁科氏が主家の武田氏とともに滅亡すると、織田信長以後の天下人は安曇郡を歴代松本城主の所領とし、松本藩の庇護を受けるようになった。

明治の神仏分離の際に、寺号を廃して現社名に改称した。

昭和6年に県社に昇格し、昭和51年に神社本庁の別表神社に加列された。

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本殿は弘治2年(1556)に仁科盛康により造営されたもので、重要文化財に指定されている。

拝殿は昭和50年(1975)に伊勢神宮の旧社殿の一部を譲り受けたものである。

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観音堂

本殿東にあり、若一王子の本地仏とされた十一面観音の像が安置されている。

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三重塔

※以上、文章はWikipedia、公式ホームページ、当社冊子を抜粋・編集

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大町護国神社 

境内左側にある。右側は子安神社。

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八坂神社

内部に御輿が宮殿として安置されている。この御輿は昭和40年代半ばまで7月15日の八坂神社の祭礼の日に巡行に用いられていた。

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松尾神社(左)、鹿島神社(右)

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拝殿・本殿の左側の社叢のなかに末社がたくさんあった。

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長野縣護國神社

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ながのけんごこくじんじゃ。長野県松本市美須々にある。

護国神社。神社本庁の別表神社。

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ご祭神は、明治維新から第二次世界大戦までの国難に殉じた長野県出身者を祀る。

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創建は、昭和13年(1938)11月に長野県招魂社として仮社殿で創建された。翌昭和14年(1939)3月に長野縣護國神社に改称し、同年4月1日に内務大臣指定護国神社となった。

昭和17年(1942)、社殿・社務所などが竣工した。

第二次世界大戦後の一時期、「護国神社」の名称では軍国主義施設と見なされるという理由から、存続を図るために信濃国の枕詞に由来する「美須々之宮」に改称していた。

昭和32年(1957)4月、神社本庁の別表神社に指定された。

※以上、文章はWikipediaの記載内容、公式ホームページ、当社冊子を抜粋・編集

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石碑

参道を進むと左側に設置されている。

南十字星の下に散華せる 嗚呼戦友

と刻まれている。

昭和49年(1974)7月28日に長野県ニューギニア会が建立したもの。

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滿蒙開拓青少年義勇軍第七次斎藤中隊 拓友之碑

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シベリア抑留慰霊碑

 

招魂社、護国神社をお参りすることにした。

長野縣護國神社はとてもよく整備されていて、境内の景観が素晴らしい。境内参道の両側の芝生の手入れも行き届いていた。

神前結婚式のプロモーションをしていて、この施設なら丁寧で素晴らしい式になるように思う。

施設の性格上、写真のように殉難者のための慰霊碑が多いので、裏側もよく調べてこないといけない。

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松本神社

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まつもとじんじゃ。長野県松本市丸の内にあり、松本城の北隣に鎮座する。

地元では「五社(ごしゃ)」と呼ばれている。

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ご祭神は、五社(前身の暘谷(ようこく)大神社及び合祀された四社)で、つぎのご祭神を祀っている。

暘谷大神社:松本城主松平康長、松姫の子の虎松(孫六郎永兼)

今宮八幡宮:戸田氏の先祖戸田宗光

片宮八幡宮:戸田氏以前の三河国田原領主一色義遠

共武大神社:松平康長)

淑慎大神社:松姫

 

若宮八幡宮:松本城の前身深志城の築城者島立貞永

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創建については、元々、前身は縁結びおよび郷土発展の神として信仰を集めた暘谷大神社であり、松本城主松平康長と松姫の子の虎松(孫六郎永兼)を祀る社として知られていた。

寛政9年(1797)に、今宮八幡宮(戸田氏の先祖戸田宗光)、片宮八幡宮(戸田氏以前の三河国田原領主一色義遠)を勧請して合祀。

天保2年(1831)には更に共武大神社(松平康長)、淑慎大神社(松姫)と合祀し五社とした。

昭和28年(1953)の若宮八幡宮(松本城の前身深志城の築城者島立貞永)との合祀を期に、名称を松本神社と改めた。

御神木の大欅は境内の外、松本城川道路の中央分離帯上にある。

※以上、文章はWikipediaの記載内容を抜粋・編集

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若宮八幡宮

拝殿左側にある。

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松本神社前井戸

松本城側の道路に面した社地の角にあり、平成の名水百選に選ばれた。成分表も掲示されている。

当社の手水舎と誤解しがちだが、手水舎は境内にある。

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上の写真では井戸の後ろに鳥居が見えるが、その奥に祠がある。

案内板によれば、平成22年3月の境内における井戸湧水に伴い、水神を勧請し、「暘谷水神」としたもので、名称は当社の別称「暘(陽)谷様」から得た。

社殿造営に当たり、境内に建立されていた享和元年(1801)弥勒院別当観阿奉納の祠(石室)を移転し、台座石上に設置した。

松本城周辺の新たな観光資源として整備されたものと思われるが、その場にきちんと神様を奉るのは日本の伝統的な信仰の姿が現れていると感じた。

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四柱神社

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よはしらじんじゃ。長野県松本市大手にある。

明治時代に国家神道政策により設置された神道中教院を前身とする神社。

旧村社。現在は神社本庁の別表神社。

地元では、10月の例祭「神道祭」から「しんとう(神道)さん」と呼ばれる。

願いごと結びの神として周辺地域からの信仰が篤い。地元では四柱を「しはしら」と誤読される傾向にある。

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ご祭神は、

 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)

 神皇産霊神(かみむすびのかみ)

 天照大神(あまてらすおおみかみ)

の4柱の神を祀る。

名称はこの四柱の神を祀ることによる。

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創建は、明治5年(1872)に筑摩県松本に設置された神道中教院で、明治7年(1874)から四柱の神を祀ったことに始まる。

明治12年(1879)10月に現在地に社殿を造営し、村社の四柱神社として遷座した。翌13年6月24日に明治天皇の行幸があった。

明治21年(1888)の松本大火で社殿を焼失し仮殿に奉斎されていたが、大正13年(1924)に現在の社殿が再建された。

昭和34年(1959年)、別表神社に加列。

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松本市招魂殿

境内に入るとすぐ右手にある。

西南の役をはじめ、日清日露の戦役に至るまで国家のために殉難された旧松本市出身の戦歿者の神霊を、靖国・護国の神と称え斎き祀るべく創建された。

その後、大東亜戦争に至るまで、国難に際し国のため命を捧げた英霊を祀っている。

現在の社殿は平成25年に斎行された第62回神宮式年の後、神宮殿舎古材として豊受大神宮(外宮)の外幣殿を拝領し、日露戦争戦勝100年、大東亜戦争終結70年の節目の年に当たる平成27年に移築再建したものである。

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しんとう 恵比寿神社

拝殿の右にある。昭和27年、島根県の出雲大社より大国主神、美保神社より事代主神を勧請した。

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伊勢神宮遥拝所

境内左側にある。

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三峯神社

境内左側にある。

※以上、文章はWikipedia、公式ホームページ、当社冊子を抜粋・編集

 

神道中教院を前身とする神社であるが、松本市の中心地にあり、観光地が隣接しているので、そぞろ歩きの観光客が参拝する姿を多く目にした。

松本市招魂殿は新築したように真新しかったが、神宮外宮の外幣殿を拝領したものと知り、その清潔さに驚くとともに、松本市民ほかの奉賛に対する思いの深さを知った。

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深志神社

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ふかしじんじゃ。長野県松本市深志にある。

旧県社。現在は神社本庁の別表神社。

通称「天神様」。

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ご祭神は、建御名方富命(たけのみなかたとみのみこと:お諏訪さま)と菅原道真公(天神さま)を主祭神とする。

本殿は二殿となっている。

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創建は、社伝によれば、暦応2年(1339)9月9日に、諏訪明神の霊夢をたびたび見ていた信濃守護・小笠原貞宗が戦勝に感謝して、居館した信州府中の井川の丑寅(北東)に当たる捧庄(ささげのしょう)であった庄内の地に社殿を造営し、諏訪明神(建御名方命)を祀って創建したことに始まる。この社は宮村宮(宮村大明神)と称していた。

一方、天満宮については、小笠原長基が応永9年(1402)に、井川館近くの鎌田の地に北野天満宮(天神)を勧請した。

永正元年(1504)、小笠原氏の家臣が深志城(松本城)を築城すると、当社を城の鎮守・産土神として崇敬し、社殿を西面に改めた。

天文2年(1533)、小笠原長時は武田信玄に敗れ、信濃が武田氏の支配下に入ると当社は荒廃した。

天正10年(1582)、小笠原氏が信濃に復帰して社殿を修造し、慶長19年(1614)8月に、小笠原秀政が鎌田郷に勧請され創建されていた天満宮(鎌田天神)の分霊を、宮村宮の北の新宮に奉遷した。

その後、宮村両社・宮村大明神・宮村神社・宮村天満宮・深志天神などと称された。

本来は宮村宮の建御名方命が主祭神であったが、天満宮の方が有名となり、深志天神・天神様と呼ばれるようになった。

江戸時代も歴代領主の崇敬を受け、松本城下の南半分の商人町の総氏神ともなった。

天保12年(1841)、吉田家の許可を受けて宮村宮から現社名の深志神社に改称した。

昭和3年に県社に列格した。

当社の氏子地域は現在48ヵ町に上る。

※以上、文章はWikipedia、公式ホームページ、由緒書きを抜粋・編集

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神楽殿

拝殿正面にある。

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本町一丁目 恵比須殿

境内左側にある。寛保2年(1742)に境内に祀られた。

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伊勢町一丁目 三峰神社

境内左側にある。

寛永2年(1625)に埼玉県の三峰神社本社より勧請した。

古くは伊勢町内で祀られていたが、現在は伊勢町一丁目の守護神として境内に祀られる。

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これも三峰神社。境内左側にある。案内札が立ってなかったので、詳細は不明。

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愛染神社

境内右手奥にある。草野姫命(かやのひめのみこと)を祀っている。

古くは愛染明王、染殿社と呼ばれていた。愛染講により染物業の守護神として崇敬を受けている。

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殿内左から、金山神社・松尾神社・三十四末社

愛染神社の左側にある。

金山神社は、松本金山会により鐵工・金属業の守護神として崇敬されている。

松尾神社は、天保8年(1837)勧請と伝えられ、酒造りの守護神として崇敬されている。

三十四末社は、明治以降、境内にあった末社がまとめられて祀られた。

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本町二丁目 市神社

金山神社の左側にある。商都松本の萬商守護神とされ。「敵に塩を送る」の故事に由来した正月の伝統行事あめ市の神様が祀られている。

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筑摩神社(松本市)

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つかまじんじゃ。長野県松本市筑摩にある。

旧県社。

※「筑摩」は「つかま」と読む。現在の長野県に当たる地域で筑摩と表記されて「ちくま」と読まれている名称は元来「つかま」と読まれていたが、読みにくいため明治維新の際「ちくま」に変更された。奈良時代は「束間」と書かれていた。現在「つかま」と読むものに、当社以外に松本市の筑摩(1〜4丁目)、筑摩小学校、筑摩遺跡がある。

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ご祭神は、

八幡神の息長帯比売命(神功皇后)、誉田別命(応神天皇)

宗像三女神の多紀利比売命、狭依比売命、多岐津比売命

を祀る。

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創建は、延暦13年(794)、石清水八幡宮より勧請を受けて創建され、正八幡宮の別名がある。

また、信濃国府の松本遷府以後は国府八幡宮とも称し、鎌倉以後は信濃守護の小笠原氏の祖神として崇敬された。

拝殿に「筑摩神社の没革略記」が掲示されていた。内容はつぎのとおりである。

今より千二百五十年前、桓武天皇の時代に八面大王という鬼賊が信濃国安曇郡有明村に住んでいた。その身の大きさは十余尺もあって、その顔は見るも恐ろしいほど鬼面で近隣の村人に危害与えていた。時の御帝桓武天皇は、坂上田村麿を召されて征伐するよう命ぜられた。そこで田村麿は京都の岩清水八幡宮に二十一日間参篭して祈願をかけた。そこで、信濃国の国府の里に八幡宮を祀れば賊平定は成就すると霍験があったのである。それで田村麿は岩清水八幡宮の御分神をはるばる信濃の国に奉待して、こられ、只今の筑摩の地に八幡宮を祀りました。(原文ママ)

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拝殿

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本殿

本殿は永享8年(1436)に焼失した後、同11年(1439)に小笠原政康により再建され、室町時代の建築様式をそのまま残している。松本地方最古の建造物であり、国の重要文化財に指定されている。

また、拝殿は慶長15年(1610)に松本藩主石川氏によって造営されたもので長野県宝、銅鐘は筑摩神社別当寺の安養寺(廃寺)の梵鐘で、永正11年(1514)に小笠原長棟が寄進した旨の陰刻があり松本市指定重要文化財である。

※以上、文章はWikipedia、当社掲示物の内容を抜粋・編集

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沙田神社

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いさごだじんじゃ。長野県松本市島立三ノ宮にある。

式内社。信濃国三宮。旧県社。

神紋は「三階菱」。

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ご祭神は以下の3柱。

彦火火見尊 (ひこほほでみのみこと)

豊玉姫命 (とよたまひめのみこと)

沙土煮命 (すいじにのみこと)

この3神は穂高系の神(海神系・天津神系)と見られているが、当社は御柱を建てる諏方神社系の祭祀(後述)も行なっているという。

なお、祭神を景行天皇皇子の五十狭城入彦命と伝える説もある。

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創建は社伝によると、古くは筑摩郡鷺沢嶽(現 松本市波田鷺沢)に鎮座していたという。

大化5年(649)6月28日、信濃国司が勅命を奉じ初めて勧請して創祀した。その後、大同年間(806-810)に坂上田村麻呂が有明山の妖賊討伐にあたって、本社の神力が効したとして国司と共に社殿を造営したと伝える。

以上の伝承から、当社は波田から流れ出る梓川の水霊を祀ることに始まったと見られ、鷺沢の旧跡地と伝わる地、梓川上流の沢の1つを登った地に当社の奥社(石祠)として立っているそうで、鷺沢嶽には「斎殿石(さいでんせき)」という巨岩があるという。今回は確認しなかった。

現在の本社は梓川の水を引き入れた古代条里的遺構の上にあり、当地開発当初からの古社であるとも推定されている。

境内からは土器・石器のほか、古墳時代の鉄鍬、中世・近世の薙鎌が出土し、神宝とされている。

社伝によると、仁寿元年(851)に勅評によって社の造営があり、仁寿3年(853)には二条大納言有季を勅使として神位を賜ったともいう。

延長5年(927)成立の『延喜式』神名帳では信濃国筑摩郡に「沙田神社」と記載され、式内社に列している。

なお、『日本三代実録』貞観9年(867)3月11日条に載る「梓水神」を当社にあてる説もある。

鎌倉時代後期には、元亨(1321-1323)から正中(1324-1325)の戦火により社殿が焼失し、本社のみ残ったという。

その後、島立右近が松本城を築くとともに、その産土神として当社を補修した。松本城主は代々当社を裏鬼門除けとして重視し、神領を寄進した。当社が松本城に向かって東面しているのは、その鎮護のためとされる。

また、当社は信濃国三宮と見られ古くから「三の宮」と呼ばれていたという。現在も地元には「産の宮」の呼称があり、安産の神としても崇められている。

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拝殿・本殿の左側に子安社がある。

明治5年(1872)に近代社格制度において郷社に列し、明治34年(1901)には県社に昇格した。明治40年(1907)には神饌幣帛料供進社に指定された。

 

当社では、式年御柱祭(山出式:4月中の酉の日、曳廻:例祭当日)は6年に1度、卯年と酉年の例大祭に合わせて行われる。

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上の写真は境内右側から仮殿(左)と拝殿(右)を写したもので、仮殿の手前と奥に御柱が立っている。一の御柱と二の御柱である。写真には写ってないが本殿の左側と右側にそれぞれ三の御柱、四の御柱が立っている。

御柱祭では、4本の御柱を波田の旧松本藩が所有していた「御林」から伐り出して、国道158号沿道を曳き出す。

御柱立ては一の柱が中村・三ノ宮村、二の柱が島立町村・永田村、三の柱が大庭村・小柴村、四の柱が荒井村・堀米村と、いずれも中世の島立郷の郷村が担当した。

松本盆地の他の御柱祭と異なり、諏訪大社の形式で行われ、史料で確認できる最も古い例は正徳3年(1713年)である。昔から「人を見るなら一之宮(諏訪大社)、綺羅を見るなら二之宮(小野神社)、衣装見るなら三之宮」と言われ、各柱毎に衣装を凝らしてある。松本市から無形民俗文化財に指定されている。

参考:島立沙田神社の御柱祭り(松本市文化財ホームページ)

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参道の左側に蚕玉社があった(奥は社務所)。

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境内の右隅に金網に囲われて秋葉神社ほか境内末社があった。

※以上、文章はWikipediaの記載内容を抜粋・編集

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