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2016年5月15日 (日)

二宮神社(あきる野市)

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にのみやじんじゃ。東京都あきる野市二宮にある。

武蔵国二宮。旧郷社。

別称は「小河神社(おがわじんじゃ)」。古くは「小河大明神」または「二宮大明神」とも称された。

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ご祭神は国常立尊 (くにとこたちのみこと)を祀っている。

創立年代は不詳である。

『和名抄』に記されている武蔵国多摩郡小川郷の鎮守であり、「小河大明神」とも称された。地名の元になった小川氏は日奉(ひまつり)氏から出て、のちに小川姓を名乗った。

当社は武蔵国の二宮であったとされ、『神道集』『私案抄』にみられる「武州六大明神」の一角に数えられているが、六社のうち唯一式内社でない。

現在も武蔵国総社・六所宮(現 大國魂神社)の一座に祀られていて、周辺の地名も「二宮」と称されている。

古い記録によると、藤原秀郷が生国の山王二十一社中の二宮を崇敬する縁故をもって特に当社を崇敬し、天慶の乱に際し戦勝祈願をこめ、乱平定の奉賽として社殿玉垣を造営した。

源頼朝、北条氏政の崇敬も篤く、ことに北条氏照は滝山城主となって、同氏の祈願所とした。のち、神殿・神宮宅は罹災し、記録の大半が焼失した。

一方、鎌倉時代には当地付近に大石氏中興の祖とされる信重が城館を構え、5代にわたって居城としたとの記録がある。

この「二宮城」の所在を探るため、昭和47年(1972)に二宮神社境内の一角が発掘調査されたが、関係する資料を得ることはできず否定された。

しかし、この発掘調査では、寺院に関係する小型の金銅製薬師如来像や中世の瓦が発見され、新たな謎を呼んでいる。特に、薬師如来像は小河大明神の御正体と推測されている。

天正19年(1591)、徳川家康より代々15石の御朱印地とされ、以後、代々継承されてきた。現在の本殿は、江戸時代に建立されたといわれる。

明治3年(1870)、現社名に改称した。

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荒波々伎社

足神様、門神様とも言われ、日本の原始信仰を残す神、健足長寿の神である。

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諏訪神社(おすわ様)

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五社(伊勢・八幡・天王・天神・稲荷の五社を合祀)

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稲荷社

五社の左後方にある。

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社宮社(おしゃもじ様)

咳や風邪の神を祀る。境内でなく、御手洗池の畔にある。

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御手洗池(みたらしいけ)

どんな干天でも涸れたことのないお池だそうで、水の透明度も高く、よく整備されていた。

※以上、当社由緒書きを抜粋・編集

 

4月4日に参拝した際、ご神職は不在だったが、御朱印を受け付ける日が社務所の窓口に掲示されていて、4月は第2・第3日曜日だった。境内の見落とした場所の確認も含め、5月の第3日曜日に再度お参りしたところ、社務所の前に数人、御朱印待ちの人の姿が見えたので、受け付けの該当日だった。

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