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2016年4月16日 (土)

山口大神宮

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やまぐちだいじんぐう。山口県山口市にある。

旧県社。

昭和22年(1947)まで高嶺神社と称していた。

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伊勢神宮と同様の内宮・外宮があり、それぞれに附属した別宮・摂社がある。

これらの社殿は隣接して建っており、石段を降りた所に祈祷などが行われる神楽殿がある。

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外宮

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内宮

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神楽殿

 

ご祭神は以下のとおりである。

内宮 主祭神 天照大御神、配祀 天手力男命・萬幡豊秋津姫命

内宮別宮・荒祭宮 祭神 天照大御神荒魂・瀬織津姫命

内宮摂社・恵美須社 祭神 事代主命

外宮 主祭神 豊受大御神、

   配祀 天津彦彦火瓊々芸命・天児屋根命・天太玉命・建御名方神・八坂刀自命

内宮別宮・多賀宮 祭神 豊受大御神荒魂・伊吹戸主神

創建については以下のとおりである。 

永正17年(1520)、大内氏30代目の大内義興が伊勢神宮の神霊を勧請して創建した。

永正5年(1508)6月、大内義興は山口に逃げてきた前将軍・足利義稙を奉じて上洛し、以降11年間京都に滞在し、管領代として幕政を執行した。その間の永正11年(1514)、義興は伊勢神宮に参拝し、伊勢神宮を山口に勧請したいと思ったという。

義興は、永正15年8月に京都を発って山口に帰ったが、帰国してすぐに伊勢神宮を勧請するための準備を始めた。

伊勢神宮を勧請するための土地を探して、現在地の高嶺東麓を社地に定め、すぐに社殿建立を開始した。

永正17年4月に社殿が落成し、天皇に伊勢神宮勧請の許可を求め、同年6月29日、後柏原天皇の勅許を得て伊勢神宮の神霊を勧請、鎮座した。

当初は高嶺神明と称していたが、後柏原天皇から「高嶺太神宮」、後陽成天皇から「伊勢」の勅額が授けられ、高嶺太神宮、今伊勢と呼ばれるようになった。

江戸時代まで、伊勢神宮より勅許を得て神霊の勧請を受けたのは、日本中で当社だけであった。

(江戸期に入ると伊勢商人の手によって相模国に勧請され伊勢原大神宮が創建され、式年遷宮もとり行われた。新編相模国風土記稿によると伊勢原村に「當村開墾の頃勧請せし所にて、伊勢の神廟に擬し、二十一年目毎に社頭修理を加へ、遷宮の式あり」と記載されている。)

江戸時代に伊勢信仰が盛んになると、山口大神宮には特に西日本各地から多くの参拝者が訪れるようになった。

今も参道脇には多くの「日参一万日成就」の石碑が残る。

昭和3年、県社に列せられ、社名を高嶺神社とした。昭和22年に現在の山口大神宮に改称した。

当初は、伊勢神宮と同様の20年に一度の式年遷宮が行われていたが、戦乱などにより延期されたり、簡単な改修のみで済ませたりということも行われるようになった。

明治以降は明治12年、明治35年に行われたが、その後一時中断した。

昭和35年に社殿建替が行われ、平成12年(2000年)に式年遷宮が行われた。内宮・外宮の敷地の横には式年遷宮の際の古殿地がある。

境内には摂社 多賀神社、末社 高嶺稲荷神社があり、鴻ノ峰中腹に岩戸社がある。鴻ノ峰登山口は外宮の前にあり、岩戸社までは徒歩約10分である。

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多賀神社 

主祭神に、伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀り、天照大御神・素戔嗚命・少名彦名神・火具土神・国常立命・応神天皇・菅原道真命・大内教弘命を配祀している。

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高嶺稲荷神社

なお、岩戸社のご祭神は天照大御神、天手力男命である。

※以上、文章はWikipediaより抜粋・編集

 

気になったので、赤田神社(周防国四宮)、朝田神社(同五宮)へのお参りに代えて、当社をお参りした。

外宮、内宮の社殿を含めた構成の仕方が清々しかった。

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