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2016年4月 5日 (火)

小野神社・矢彦神社

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※Wikipediaより抜粋・編集

おのじんじゃ・やひこじんじゃ。ともに長野県にあり、小野神社は長野県塩尻市、矢彦神社は長野県上伊那郡辰野町に位置し、同じ社叢に隣接して鎮座している。

かつては1つの神社であったと伝えるが、現在は別の神社である。小野神社は信濃国二宮。両社とも旧県社。

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小野神社拝殿

小野神社のご祭神は、建御名方命 (たけみなかたのみこと)を祀る。

矢彦神社のご祭神は以下の通りである。

正殿
大己貴命 (おおなむちのみこと:大国主命)
事代主命 (ことしろぬしのみこと)
 
副殿
建御名方命 (たけみなかたのみこと)
八坂刀売命 (やさかとめのみこと)
 
南殿
天香語山命 (あめのかごやまのみこと)
熟穂屋姫命 (うましほやひめのみこと)
 
北殿
神倭磐余彦天皇 (かむやまといわれひこのすめらみこと:初代神武天皇)
誉田別天皇 (ほんだわけのすめらみこと:第15代応神天皇)

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矢彦神社仮拝殿

創建年代は不詳である。伝承では、建御名方命が諏訪に入ろうとしたところ諏訪には洩矢神がいて入れなかったため、建御名方命はこの小野の地にしばらく留まったという。

また、矢彦神社社伝では、大己貴命が国作りに勤しんでいた折、御子の事代主命・建御名方命を従えてこの地に立ち寄ったという。そして欽明天皇年間(539年-571年?)、大己貴命と事代主命を正殿に、建御名方命と八坂刀売命を副殿に祀って祭祀の形が整ったと伝える。

創祀の年代等は明らかではないが、当地が古くから交通の要衝であったこと、社宝の神代鉾・鉄鐸・御正体があることなどから、古い時期から祀られた神社であると見られている。

国史・神名帳等の文献には小野神社・矢彦神社に関する記載はない。

神名の初出は、諏訪大社上社の『祝詞段』(嘉禎3年(1237年)成立)にある「小野ワヤヒコ北方南方末若宮大明神」の文言である。

永禄10年(1567年)の仁科盛政起請文には「小野南北大明神」と見える。また、信濃国の二宮として崇敬されたといわれ、天正7年(1579年)の南方久吉契状に「小野二之宮造営」の記載がある。

両社は古くは1つの神社を成していたといわれるが、小野盆地において飯田城主毛利秀頼と松本城主石川数正の領地争いがあり、天正19年(1591年)に豊臣秀吉の裁定によって盆地が北小野・南小野に分けられたことに伴い、神社境内も分割された。

北小野・南小野の境界線は南方の小川であるため、小野神社・矢彦神社とも境内は北小野の地籍であったが、社叢南半分の矢彦神社が南小野の氏神となり、矢彦神社境内は南小野の飛地という扱いとなった。そして、この状態が現在に至るまで続いている。

明治に入り、両社とも近代社格制度では県社に列した。

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矢彦神社拝殿

矢彦神社の拝殿は改修中であった。工事は28年6月までの予定。

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