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2016年4月22日 (金)

二宮神社(船橋市)

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にのみやじんじゃ。千葉県船橋市三山にある。

式内社論社。下総国二宮。旧郷社。 古くは「三山明神」、「二宮明神」とも称した。

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ご祭神は、建速須佐之男命 (たけはやすさのおのみこと)

櫛稲田比売命 (くしなだひめのみこと)

大国主命 (おおくにぬしみこと)

藤原時平命 (ふじわらのときひらのみこと)

大雀命 (おおさざきのみこと)近隣の無格社・若宮八幡神社を合祀

誉田別命 (ほんだわけのみこと) 摂社・阿波八幡神社を合祀

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創建は、社伝によれば、弘仁年間(810-824)、嵯峨天皇の勅命によるという。平安時代中期の『延喜式』神名帳には「下総国千葉郡 寒川神社」の記載があるが、当社はその論社とされている。

また、下総国の二宮として朝廷からの崇敬をうけたという(ただし旭市の玉崎神社も二宮を称する)。

二宮神社と呼ばれ始めた時期は不明であるが、乾元2年(1303)銘の梵鐘(成田市祥鳳院蔵)に「総州二宮社壇」とあることから鎌倉時代にはすでにこの呼称があったことがわかっている。

また、治承4年(1180)に藤原師経が左遷された際、藤原時平が相殿に合祀されたという。藤原時平は菅原道真の政敵であるため、天神の氏子は当社に参拝しなかったと伝わる。

三山氏が先祖代々神官を務めた。地名同様「三山」の名は古くは「御山」と見え、当社に起因する。

天正19年(1591)には徳川家康から朱印地10石を与えられたほか、江戸幕府将軍からの寄進は幾度にも及んだ。

安政5年(1858)刊の『成田参詣記』では「三山明神社(みやまみょうじんやしろ)」の図の挿絵とともに紹介されている。

明治の近代社格制度で郷社に列した。

また、明治43年に若宮八幡神社と元摂社・阿波八幡神社を合祀した。

古来より「注連下」(氏子の区域)は21・3ヶ村(現在の船橋市東部・北部、習志野市、八千代市、千葉市西部)にまたがる広大な地域に達し、現在でも例祭などで、その影響力を見ることができる。

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現在の社殿は安永年間(1772-1781)に再建されたものである。本殿・拝殿とも屋根は銅板葺であるが、本殿は大正11年(1922)10月に、拝殿は大正14年(1925)に茅葺屋根から葺き替えられた。

この社殿の平面形式は江戸時代に流行した権現造だが、拝殿から幣殿にいたる床面の高さは同じになるようになっている。また、軒の組物及び腰組も当時の正規の宮大工の手法によって意匠と造作がなされている。

昭和53年(1978)10月25日に船橋市の有形文化財に指定された。

※以上、文章はWikipediaより抜粋・編集

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