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2016年4月21日 (木)

出雲大社東京分祠

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いずもおおやしろ・とうきょうぶんし。東京都港区六本木にある。

島根県の出雲大社からの分祠である。

ご祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。

康治元年(1142)在庁官人解状に「天下無双之大廈、国中第一之霊神」と記された。

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出雲大社東京分祠の創建は、明治11年(1878)1月11日、出雲大社八十代宮司で出雲大社教の第八十代国造・初代管長である千家尊福(せんげたかとみ)が、「東京及び東日本の御神徳宣布」のため、神田にある神田明神社務所内に、東京出張所を設けたことによる。

神田明神は出雲大社と祭神が同じだけでなく、当時の宮司は平田篤胤学派の平田盛胤でその関係も深く、初代の出張所長は本居宣長の学統を継ぐ本居豊穎(もとおりとよかい、本居宣長の曾孫、屋号秋屋)で、祭神論の当時は東京における出雲派の拠点だった。

明治15年(1882) 3月1日、明治政府の神官教導職分離令を受ける。4月4日、東京出張所は東京府麹町区上二番町47番地に移転した。東京出張所に神殿を設立し、千家尊福が出雲より分霊を奉じて鎮祭し、ここに出雲大社東京分祠が建立された。

明治16年(1883) 5月4日、明治政府の宗教政策により神職による布教が禁じられた。出雲大社東京分祠神殿落成。5月11日、出雲大社東京分祠神霊祭斎行。5月12日、神道総裁有栖川宮幟仁親王の臨席を仰いで落成式を行い、神殿には親王の筆になる「経国治幽」の額が掲げられた。

明治22年(1889) 8月25日、前管長千家尊福より麻布区材木町(現 港区六本木七丁目)38番地より40番地まで(現在地)の地所を東京分祠に寄せられるにつき、永久維持の計画をし、行政の許可を得て、神殿はじめ附属建物共有の移転工事を着工。10月15日、東京分祠を麻布区材木町に移転完成。

 

出雲大社

神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われる(神在祭 旧暦10月11日 - 17日)。

出雲へ行かず村や家に留まる田の神・家の神的な性格を持つ留守神(荒神等)も存在sするので、すべての神が出雲に出向くわけではない。

そのような神集への信仰から、江戸時代以降は文学にも出雲の縁結びの神様としてあらわれ、全国的な信仰をあつめるようになった。

二拝四拍手一拝の作法で拝礼する。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。

創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきた。現在、第六代東京分祠長、東京出張所長、千家活彦(せんげいくひこ)が務める。

宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく、黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んである。

※以上、文章はWikipediaより抜粋・編集

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