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2016年3月13日 (日)

青井阿蘇神社

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あおいあそじんじゃ。熊本県人吉市にある。

旧県社。現在は神社本庁の別表神社。

地元では「青井さん」と称されている。本殿など5棟の建造物が国宝に指定されている。

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ご祭神は、建磐龍命とその后神である阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、両神の御子神である国造速甕玉神(くにのみやつこはやみかたまのみこと)を祀る。

この3神は阿蘇三社とも称される、熊本県阿蘇市の阿蘇神社の祭神12柱中の3柱である。

近世までは両部神道に基づく神仏習合が行われ、建磐龍命は十一面観音を、阿蘇津媛命は不動明王を、国造速甕玉神は毘沙門天を本地仏とし、神体として仏像を祀っていたが、寛文5年(1665)に唯一神道へ改めてこれを改替した。なお仏形の神像絵は現も神社に保存されている。

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創建は、大同元年(806)9月9日に阿蘇神社の神主尾方権助大神惟基が神託により阿蘇神社から阿蘇三社の分霊を当地球磨郡青井郷に祀ったのに始まると伝える。

その後天喜年中(11世紀中半)に再興され、建久9年(1198)に領主として藤原(相良)長頼が当地へ下向した際にも再営して自家の氏神として尊崇、神領216石を寄進する等相良家歴代の篤い崇敬を受け、延徳3年(1491)の同為続による社殿造営を始めとする数度の社殿の造営、修造が行われた。

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相良氏は八代衆や球磨衆といった衆中と呼ばれる国人層を家臣団として抱え、その衆議を踏まえて領国経営を行ったが、『八代日記』の記述から当神社で制定前の衆議や制定後の神裁が行われたものと考えられている。相良氏にとって当神社は信仰の対象であり、家臣団を統制する存在でもあった。

近世には青井大明神と称され、相良家20代目に当たる長毎(頼房)は文禄の役での朝鮮出兵に際して当神社へ戦捷を祈願し、帰国後の慶長2年(1597)に当神社を球磨郡内の神社250余社の総社と定め、同6年に大村内の田地1町1,000歩(約4,000坪)を寄進、戦捷祈願の報賽として社殿の大造営を行う等、近世を通じて同氏及び人吉藩による崇敬を受けた。

なお、阿蘇神社の分霊社ではあるが、阿蘇氏(阿蘇神社の大宮司家)と相良氏が、南北朝の内乱期や戦国時代に度々対立したためか、阿蘇神社との関係は薄く、独自の発展をみたという。

明治5年(1872)8月に郷社に列し、昭和10年(1935)11月県社に昇格した。

 

人吉は温泉地でもあり、当社の建造物が国宝指定ということで、たくさんの観光客が訪れていた。観光ツアーにも組み込まれていて、境内では現地のボランティア・ガイドが活躍していた。

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