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2016年2月 7日 (日)

忌部神社

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いんべじんじゃ。徳島県徳島市二軒屋町、眉山の中腹にある。

式内社(名神大)の後継社。旧国幣中社。現在は神社本庁の別表神社。

ご祭神は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)。

天日鷲命は阿波忌部氏の祖神で、『古語拾遺』によれば天照大神の岩戸隠れの際に天太玉命に率いられて、榖(かじ)の木を植え、白和幣(しらにきて)(楮の繊維を織ったもの。木綿(ゆう))を作った神である。

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忌部神社にまつわる歴史は以下のとおりである。

式内社の忌部神社は旧山崎村(現 吉野川市)にあり、二宮もそちらであろう。当社は明治25年に新たに設置された後継社である。

『延喜式神名帳』に載る「阿波国麻殖郡 忌部神社」は名神大社として列していた。

中世以降、兵火などにより所在が不明となり、近世以降、複数の神社が式内・忌部神社を主張していた。近隣他社の神職による横領、焼き払いにあって、一時途絶えていた。

旧山崎村村民の請願により、寛政13年(1801)に神職を罷免し、前神職の孫娘に養子をとり、神職を継がしめた。

明治4年(1871)に暫時「所在地不明」のまま国幣中社に列格し、翌5年に麻植郡山崎村(現 吉野川市山川町)の村社忌部神社を式内忌部神社に決定した。

これに対して美馬郡西端山(現 つるぎ町貞光)の五所神社(現 当社境外摂社御所神社)が式内忌部神社を主張し、翌々7年(1874)に改めて旧山崎村の忌部神社を比定するという太政官布告が出されたものの、その後も論争が続いたため、同14年(1881)に五所神社を式内忌部神社に変更した。ところが、今度は旧山崎村側が大いに反発した。

結局、太政官による妥協策として名東郡富田浦町(現 徳島市)に新たな社地を定めるという通達を出し、同18年(1885)に眉山中腹の現在地を選定、そこに鎮座する郷社金刀比羅神社に仮遷座して五所神社を境外摂社とし、社殿竣工により同25年(1892)5月15日に現在地に遷座した。

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