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2016年2月 7日 (日)

海神社

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わたつみじんじゃ。兵庫県神戸市垂水区宮本町にある。

式内社(名神大社)。旧官幣中社。

伊和神社、粒坐天照神社とともに播磨三大社とされる。

「綿津見神社」とも表記され、「かいじんじゃ」とも読まれる。

古くは、あまじんじゃ・たるみじんじゃ、日向大明神、衣財田大明神。

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ご祭紳は、海神三座として以下の3柱を主祭神とし、大日孁貴尊を配祀する。

上津綿津見神(うわつわたつみのかみ):海上=航海の神

中津綿津見神(なかつわたつみのかみ):海中=魚(漁業)の神

底津綿津見神(そこつわたつみのかみ):海底=海藻、塩の神

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社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、当地の海上で暴風雨が起こって船が進めなくなったので、皇后が綿津見三神を祀ると暴風雨が治まり、その縁でこの地に綿津見三神を祀る社殿を建てたのが始まりという。

『日本書紀』に記される広田神社・生田神社・長田神社・住吉大社創建の記述とほぼ同じ。でも、そこには海神社は登場しない。

文献上の初出は、大同元年(806)の『新抄格勅符抄』にある播磨明石垂水神に神封戸10戸を寄進するという記述であるとのこと。

当所は海上交通の要地であることから。古くから海上鎮護の神として崇敬を受けてきた。

『延喜式神名帳』では「播磨国明石郡 海神社三座」と記載され、名神大社に列した。

中世以降、戦乱等のために社勢が衰えるが、天正11年(1587)に豊臣秀吉が祈祷料として垂水郷山内の山林を寄進、江戸時代にも歴代明石藩主が篤く崇敬し、毎年2月に参拝するのを通例としていた。

江戸時代の初頭より「日向大明神」と呼ばれていた。明治4年(1871)に国幣中社に列格した際に「海神社」に復称した。明治30年(1897)に官幣中社に昇格した。

社号について、「ワタツミ」の読みは本居宣長の説に基づき、明治4年(1871)に採用した。

『播磨国官幣中社海神社史』では「古例の通りアマもしくはタルミと読むべきである」としている。「タルミ」の読みは祭神の本来の名称が垂水神であったことによるもので、「アマ」は当社が海直(あまのあたい)の氏神であったことによる。

 

海神社へのお参りにより、近代社格制度の官幣中社へのお参りを終えることができた。

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