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2016年2月 6日 (土)

四條畷神社

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しじょうなわてじんじゃ。大阪府四條畷市にある。

建武中興十五社。旧別格官幣社。

ご祭神は、南朝の将として戦い、四條畷の戦いで敗死した楠木正行(まさつら)を主祭神としている。

父の楠木正成が大楠公(だいなんこう)と呼ばれるのに対して、嫡男の楠木正行は小楠公(しょうなんこう)と呼ばれている。

父の正成ともども明治維新の尊王思想の模範とされ、その誠忠・純孝・正義によるとして明治9年(1876)に従三位、明治30年(1897)に従二位が追贈された。

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ご祭神は楠木正行(主祭神)のほか、以下の楠木一族の将士24柱を配祀している。

楠木正時、楠木正家、楠木正家子息 和田賢秀、和田正朝、和田紀六左衛門、和田紀六左衛門子息、和田紀六左衛門子息 大塚惟久、畠山與三職俊、畠山六郎、野田四郎、野田四郎子息、野田四郎子息 金岸(某)、金岸(某)弟、関住良円、関住良円子息、三輪西阿、三輪西阿子息 河邊石掬丸、譽田(某)、阿間了願、青屋刑部。

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河内国讃良郡南野村字雁屋の地に「楠塚」と呼ばれる楠木正行の墓があった。

明治期になると明治政府によって南朝が正統とされ、正行の父である楠木正成が大楠公として神格化されると、その父の遺志を継いで南朝のために戦い命を落とした嫡男の正行も小楠公と呼ばれ崇敬の対照となった。

それに伴い、明治11年(1878)に楠塚は「小楠公御墓所」と改められ、規模も拡大した。

同じ頃、南野村飯盛山の山麓にある住吉平田神社の神職らが中心となり、楠木氏らを祀る神社の創建を願い出た結果、明治22年(1889)12月16日に神社創立と別格官幣社四條畷神社の社号の宣下が勅許され、明治23年(1890)に住吉平田神社の南隣の地に創建した。

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社殿。

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忠孝両全の像。父正成が子の正行に諭す場面。

忠孝両全は君主への忠義と両親への孝行のどちらも果たすことで、君主へ忠義を尽くすことと、両親へ孝行することは全く別のものだが、どちらも両立させるという意味である。

 

当社の創建以降、明治28年(1895)に浪速鉄道が大阪市中心部から四條畷駅まで開業したことで四條畷神社周辺は栄えたそうだ。

所在地の讃良郡甲可村(南野村ほか6ヶ村合併)では「四條畷」と付く施設が次第に増え、「四條畷」が甲可村の別称のようになっていき、昭和7年(1932)に甲可村は四條畷村に改称し、これが現市名にまで継承されている。

つまり、当社創建の5年後に鉄道駅が開業し、社号に因んで駅名がついたことで、地名も変わったということだ。

 

参拝に当たり、車で行ったら、大阪の市街地や商店街の細い道ばかりを走ることになった。ようやく着いたら駐車場がなくて、再度街中の一の鳥居の近くまで戻って、タイムスの駐車場に停めてから、てくてく参道を歩いてきた。じつは境内にも数台停められる駐車場があるのだけど、それは車のお祓いをする人のためのものだった。

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