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2015年12月20日 (日)

忌宮神社

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いみのみやじんじゃ。山口県下関市にある。

式内社。長門國二宮。旧国幣小社。現在は神社本庁・別表神社。

長府(城下町地域)のほぼ中心に位置し、仲哀天皇が熊襲平定の際に滞在した行宮である豊浦宮の跡とされる。

飛地境内として国の天然記念物満珠島干珠島を有している。

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ご祭神は、本殿の第一殿に仲哀天皇、第二殿に神功皇后、第三殿に応神天皇を祀る。

別宮・摂末社の若宮社に仁徳天皇、高良社に地主大神・武内宿禰、八坂神社:素戔男尊をはじめ42柱(神社合祀のため)、荒熊稲荷神社:宇迦之御魂神・宗像三女神、惣社宮に天神地祇、守宮司神社に応神天皇を祀る。

創建の由来は次のとおり。

仲哀天皇元年(192)に天皇は熊襲の征討に訪れ、翌2年(193)に行宮として豊浦宮を建てられた。

同8年(199)、天皇は天照大神と住吉三神による託宣を疑ったため、筑紫の香椎で亡くなった。神功皇后は三韓征伐からの帰途、豊浦宮の跡に祀ったのが創始と伝わる。

蚕の渡来の地でもある。『日本三代実録』によれば、仲哀天皇4年(195)に秦の始皇11代の孫功満王(こまおう)が渡来して日本に住みつき、珍しい宝物である蚕の卵を奉献したとされ、豊浦宮が蚕種渡来の地とされる。

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聖武天皇の時代に香椎宮から神功皇后・応神天皇を勧請・合祀し、仲哀天皇を祀る神殿を「豊浦宮」、神功皇后を祀る神殿を「忌宮」、応神天皇を祀る神殿を「豊明宮」と称し、三殿別立となっていた。

中世に、火災により全て「忌宮」に合祀したことから「忌宮」と呼ばれるようになった。

延喜式神名帳では「長門国豊浦郡 忌宮神社」と記載され、小社に列している。

延元元年(1336)、足利尊氏が忌宮神社で戦勝祈願を行い、延元2年(1337)に法楽和歌を奉納した。

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長府毛利家の厚い庇護を受け、境内社として歴代藩主を祀る豊功神社も置かれた。この神社は現在は長府海岸近くの宮崎八幡宮と合祀され豊功神社として祀られている。

古来、文武の神・勝運の神として歴朝の尊崇厚く、また安産の神として庶民の信仰を受けてきた。

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鬼石。

豊浦宮に攻め寄せた新羅の武将・塵輪を射倒し、その首を埋めたとされる場所。

塵輪の顔が鬼のようであった事から「鬼石」と呼ばれている。

毎年8月7日から13日までの毎夜この鬼石を中心として広庭で「数方庭(すほうてい)」が行われる。「数宝庭」「数方勢」などの当て字もある

男子は幟を、女子は切籠と呼ばれる灯籠を吊した笹竹をもち、鉦や太鼓の音色に和して鬼石の周りを踊り舞う。

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神功皇后御手植えの逆松。

神功皇后が新羅征討に際し、お手つから小松を逆さまに植えられ「我志を得ば、この松枯れずして生い茂りなむ」と神祇に誓われたと伝えられている。戦火で焼かれ、枯死し、根幹が保存されている。

大相撲との関連も深い。力士の魁傑將晃が現役時代に荒熊稲荷神社で九州場所の必勝祈願を行い、優勝したことが縁で、毎年11月3日の三日相撲に合わせて参拝する。

荒熊稲荷神社脇には相撲資料館が併設され魁傑や大乃国康(現:芝田山)の化粧まわしや優勝杯、大銀杏などが展示されている。

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