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2015年12月19日 (土)

英彦山神宮

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ひこさんじんぐう。福岡県田川郡添田町の英彦山にある。

旧官幣中社。通称彦山権現。日本有数の修験道の霊場だった。

ご祭神は、天忍穂耳尊を主祭神とし、伊佐奈伎尊・伊佐奈美尊を配祀する。

英彦山は、北岳・中岳・南岳の三峰からなり、中央にある中岳の山頂に当社の本社である上宮があり、英彦山全域に摂末社が点在する。

上宮へは社殿右の登山口から三千段の階段を上っていく。大人の足で90分くらいだそうだ。

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英彦山は古代より神体山として信仰されていたとみられる。

当社の開基に関する伝承は次のようなものである。

継体天皇25年(531)、北魏の僧・善正(ぜんしょう)が英彦山山中で修行中に猟師・藤原恒雄(こうゆう、のちの忍辱(にんにく))に出会い、殺生の罪を説いた。

しかし、それでも恒雄は猟を続け、1頭の白鹿を射た。その時、3羽の鷹が出現して白鹿に檜の葉に浸した水を与えると、白鹿は生き返った。それを見た恒雄はこの白鹿は神の化身なのだと悟り、善正の弟子となって当社を建立した。

別の伝承では、祭神の忍骨命の降臨した地とされて山上に一祠が建てられたのが起源ともいわれている。

清和天皇の代、貞観7年(865)に従四位上を授けられたとあり、延喜式神名帳にも忍骨命神社として名を残す。これらは伝承で実際の歴史は、11世紀初頭に増慶によって中興される以前については不詳となっている。

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早くから神仏習合し彦山権現の名を用いていた。英彦山という山名は、社伝では天照大神の御子(日の御子)である天忍穂耳尊を祀ることから日子山と呼ばれるようになったとしている。

弘仁10年(819)、僧・法蓮が、山中で飛来した鷹の落とした羽に「日子を彦と改めよ」と記されているのを見て当山を再興し、日子山を彦山に改めたとされる。

12世紀より天台宗に属し、西国修験道の一大拠点となって栄えた。

元弘3年(1333)には、後伏見天皇の第八皇子・長助法親王(後の助有法親王)を座主に迎えた。それ以降、座主はそれまでの輪番制から世襲制となった(現在の社家である高千穂家はその末裔に当る)。

当時は僧坊3000余、四十九窟(行場)を有するといわれた。

しかし、天正年間(1573-1592)に秋月氏・大友両氏の兵火が及んで焼失、近世初期に小倉藩主細川忠興が社殿を再興した。

江戸時代以降は、焼き打ちや寺領廃止もあり衰微した。

元禄9年(1696)に天台修験の別格本山となる。名称に「英」の字が付いたのは、享保14年(1729)のことで、霊元法皇より、天下に抜きん出た霊山であるとして「英」の字が授けられ、英彦山と称するようになった。

明治の神仏分離により修験道が廃止され、天台山伏の本山であった霊仙寺(現・霊泉寺)を分離し神社となって英彦山神社に改称した。

明治15年(1883)に座主の高千穂宣麿が男爵を授けられ、華族に列した。明治30年(1898)に官幣中社に列した。

昭和50年(1975)に現在の英彦山神宮に改称した。

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英彦山は主峰南岳(標高1200m)を中心に中岳、北岳の三峰からなる。それぞれの峰に三神が祭られ、神仏習合時代は「彦山三所権現」と呼ばれた。『彦山流記』(1213)の記載は以下の通り。

三峰  習合神   祭 神   本地仏

北岳 法体権現 天忍穂耳尊 阿弥陀如来

南岳 俗体権現 伊弉諾尊   釈迦如来

中岳 女体権現 伊弉冉尊   千手観音

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銅(はがね)の鳥居の右側に英彦山ロープウェイの駅があり、境内まで乗って行ける。ただし、一度中程で乗り換える。待ち時間は数分程度である。

境内までの石段は400段あるそうで、なかなかきつい。

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