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2015年9月23日 (水)

井伊谷宮

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いいのやぐう

静岡県浜松市北区引佐町の井伊谷(いいのや)にある。

旧官幣中社。建武中興十五社。

ご祭神は宗良親王(むねよししんのう/むねながしんのう、応長元年(1311)−元中2年/至徳2年8月10日(1385.9.14)。※没年は諸説あり。

宗良親王は後醍醐天皇の第四皇子で、母は二条為子である。一品中務卿。

同母兄弟に尊良親王、異母兄弟に護良親王、懐良親王、義良親王(後村上天皇)などがいる。信濃の宮、大草の宮、幸坂の宮(庇護者となった香坂氏に由来)と呼ばれた。

天台座主だったが、還俗して南北朝時代に征東将軍として関東各地を転戦した。

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建部中興十五社なので創建は新しく明治時代である。

明治天皇は自ら執政を行なった建武天皇を理想としていたことから、明治初期に各地で建武中興に尽力した人々を祀る神社が創建された。

彦根藩の知藩事(藩知事のこと)であった井伊直憲が井伊谷に宗良親王を祭る神社創建を出願し、明治2年(1869)にその手伝いをするよう命じられた。

井伊谷は井伊氏発祥の地で、宗良親王は井伊道政と井伊高顕に助けられ、この地で没したと伝えられていた。

翌明治3年(1870)春に神社は完成し、当初は宗良親王御社と称したようだが、明治5年(1872)1月23日に井伊谷宮に改称となった。同年2月12日に鎮座祭が神祇省の役人によって行なわれた。

初め社格がなく、神官を置かず、宮内省式部寮の役人が祭祀を執行していた。明治6年(1873)6月9日に白峯宮(白峯神宮)、鎌倉宮とともに官幣中社に列せられた。

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宗良親王は歌人としても優れていた。母方の二条家は歌道の家であり、幼い頃から和歌に親しみ、歌人としても有名だった。彼が南朝側歌人の和歌を集めて編集した和歌集は当初私的なものであったが、長慶天皇が勅撰集に准ずるよう命じ、弘和元年/永徳元年(1381)に『新葉和歌集』として完成した。

当社の神紋である李花紋は、宗良親王の歌集の題名『李花集』に因んでいる。

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井伊谷は宗良親王が元中2年(1385)8月10日に73歳で歿した地と伝えられ(他説あり)、当社の社殿の背後に宗良親王の墳墓がある。立ち入り禁止である。

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花火の奉納を行なっているようで、筒が置かれていた。

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