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2015年1月24日 (土)

今宮神社

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いまみやじんじゃ

旧府社。玉の輿神社とも呼ばれる。

ご祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと) 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)である。

疫神社(今宮神社では疫社と呼んでいる)に、素盞鳴命(すさのをのみこと)を祀っている。

現在の社地には、延暦13年(794)の平安遷都以前から疫神スサノオを祀る社(現在摂社疫神社)があったとされている。

平安遷都後にしばしば疫病や災厄が起こり、神泉苑、上御霊神社、下御霊神社、八坂神社などで疫病を鎮めるための御霊会が営まれた。

正暦5年(994)には都で大規模な疫病が流行したので、朝廷は神輿2基を造って船岡山に安置し、音楽奉納などを行ない、疫災を遺棄するため幣帛に依り移らせて難波江に流した。これを紫野御霊会といい、民衆主導で行なわれ、現在の今宮祭の起源とされている。

長保3年(1001)にも疫病が流行した。朝廷は疫神を船岡山から移し、疫神を祀った社に神殿、玉垣、神輿を造らせて今宮社と名付け、大己貴命、事代主命、奇稲田姫命の三柱の神が創祀された。

その後、疫病が流行るたびに紫野御霊会が営まれ、今宮社の祭礼(今宮祭)として定着、毎年5月に行なわれている。

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創祀以来、今宮神社に対する朝廷・民衆・武家からの崇敬は厚く、弘安7年(1248)に正一位の神階が与えられた。

しかし、応仁の乱・文明の乱(1467-1478)で焼失、戦国の兵乱などに巻き込まれ、荒廃した。

文禄2年(1593)になり、豊臣秀吉が今宮社の御旅所を再興し、神輿1基を寄進した。

徳川時代には西陣の八百屋に生まれたお玉が徳川3代将軍家光の側室となり、5代将軍綱吉の生母・桂昌院として従一位となった。これが「玉の輿」の由来になったと言われる。

桂昌院は京都の寺社の復興に力を注ぎ、今宮社に対する崇敬と西陣に対する愛郷の念がとくに強かったといわれ、元禄7年(1694)には御牛車や鉾を寄進し、祭事の整備、氏子区域の拡充、やすらい祭の復興などを施策を行なった。江戸時代に社領として今宮神社に50石が与えられた。

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神楽殿と思ったら、神社作成の図では拝殿となっていた。
 
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本社。手前左側が疫社である。
 
一の鳥居から楼門をくぐり境内まで、立派な神社だった。境内には桂昌院由来レリーフや歌の碑もある。御朱印は花笠のほうをいただいた。  
 
知人に素晴らしい神社だと聴いて、いつかお参りしたいと思っていたが、北区のちょっと奥まったところにあり、お参りするときは車で行こうと思っていた。
 
今回は近所の船岡山の謙勲神社へのお参りもあって、まずはこちらをお参りした。近くに地下鉄が通ってないので、鞍馬口の御霊神社をお参りしたあと、タクシーで移動した。
 
東門の門前二軒のあぶり餅が有名だが、残念なことにすっかり忘れていて、食べられなかった。

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