« 梨木神社 | トップページ | 新熊野神社 »

2015年1月24日 (土)

豊国神社

150124_1546

とよくにじんじゃ。

旧別格官幣社。

ご祭紳は、豊臣秀吉公。神号「豊国大明神」を下賜された。

創建は、秀吉が死去した翌年の慶長4年(1599)4月13日、遺命により東山大仏(方広寺)の東方の阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、その麓に廟所が建立されたことによる。それまで遺体は火葬されることなく伏見城内に安置されていたという。

廟所は秀吉の死後間もなく着工されたが、秀吉の死が伏せられていたため、大仏の鎮守社と称していた。

この鎮守社は北野神社に倣った八棟造りだったと伝わる。秀吉は奈良東大寺大仏殿を鎮護する手向山八幡宮に倣い、自身を「新八幡」として祀るように遺言したといわれる。

大仏の鎮守社は、秀吉の死が明らかになるにつれ、新八幡社と呼ばれるようになった。埋葬後の4月16日、朝廷から秀吉に八幡神ではなく、豊国乃大明神(とよくにのだいみょうじん」の神号を与えた。18日には遷宮の儀が取り行われ、豊国神社と命名された。

秀頼の希望で大阪城内にも分詞された。

150124_1547

豊臣家が滅亡すると、徳川家は後水尾天皇の勅許を得て豊国大明神の神号を剥奪し、方広寺の鎮守とすべく、秀吉の霊を「国泰院俊山雲龍大居士」の名に変えさせ、以後仏式で祀ることが定められた。このとき、神社は廃絶となった。

慶応4年閏4月(1868)、明治天皇が大阪に行幸した際、秀吉を賞賛し、豊国神社の再興を布告する沙汰書が下された。同年5月に鳥羽・伏見の戦いの戦没者も合祀するよう命じられた。

明治6年(1873)、別格官幣社に列格した。

京都市東区にある。下御霊神社へのお参りを終えると15時半を過ぎていたので、タクシーに乗って移動。八坂神社のほうが近く、どちらにするか迷ったが、まだお参りしたことにない豊国神社にした。

|

« 梨木神社 | トップページ | 新熊野神社 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/37949/61035277

この記事へのトラックバック一覧です: 豊国神社:

« 梨木神社 | トップページ | 新熊野神社 »