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2015年1月24日 (土)

護王神社

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旧別格官幣社。別称は子育明神。
 
ご祭神は和気清麻呂と姉の和気広虫を主祭神とし、藤原百川と路豊永を配祀する。
 
神様になったので、それぞれ、
 和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)
 和気広虫姫命(わけのひろむしひめのみこと)
 藤原百川公命(ふじわらのももかわこうのみこと)
 路豊永卿命(みちのとよながきょうのみこと)
である。
 
創建の正確な年は不詳である。和気氏の創建により洛西の高雄山神護寺の境内に作られた、和気清麻呂を祀った廟(護王善神堂)に始まる。 
 
150124_1438和気清麻呂と姉の和気広虫は、宇佐八幡宮神託事件の際に流刑に処せられながらも皇統を守った「忠臣の鏡」として評価され、とくに戦前は歴史教育の題材となってきた。
 
嘉永4年(1851)、孝明天皇は和気清麻呂の功績を讃え、正一位護王大明神の神号と最高位の神階を授けた。
 
明治7年(1874)、護王善神堂を神社として護王神社に改称し、別格官幣社に列格した。
 
明治19年(1886)、明治天皇の勅命により京都御苑蛤御門前付近にあった公家の中院家の邸宅跡に遷座された。これが現在の社地である。
 
大正4年(1915)、大正天皇の即位の際に広虫が合祀された。広虫が孤児救済事業で知られたことから、子育明神とも呼ばれるようになった。
 
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和気清麻呂が宇佐へ配流された際に、道鏡から送り込まれた刺客に襲われた。突如現われた300頭の猪によって難事を救われた伝説がある。
 
また配流の前に道鏡に足の腱を切られたが、のちに足が治り立って歩くことができるようになったことから、足腰の守護神として知られている。
 
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明治23年(1890)から狛犬の代わりに「狛猪」が置かれた。「いのしし神社」の俗称もある。
 
和気清麻呂は紙幣のデザインにもなっている。1890年から1945年まで発行された10円紙幣は一貫して和気清麻呂と護王神社が描かれた。
 
そのうち、1890年発行のものは表面の枠模様の中に8頭の小さな猪が描かれ、さらに1899年発行のものは裏面に大きな猪が1頭描かれていた。
 
1915年発行のものから猪が描かれなくなったが、その後も和気清麻呂の肖像画が描かれた10円紙幣は長らく「いのしし」と俗称された。
 
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鳥居をくぐると楼門の前に面白いものがあった。黒い石の珠にお祓いの詞が刻まれている。手で回して祈るのだろう。
 
境内に猪の置物のコレクションが飾られていた。
 
京都御苑の西側、烏丸通沿いにある。

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