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2014年3月30日 (日)

霧島神宮

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きりしまじんぐう

官幣大社。

ご祭神は天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊。

あめにぎしくににぎしあまつひたかひこほのににぎのみこと、である。

相殿に皇霊六柱、木花開姫尊、彦火火出見尊、豊玉姫尊、鵜鷀草葺不合尊、玉依姫尊、神倭磐余彦尊を配祀する。

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天孫降臨の地である。

霧島神宮の背後に聳える高千穂峰は、記紀に「筑紫日向の高千穂の久士流多気に天降ります」「日向の襲の高千穂の峯に天降ります」と記された地。

天照大神の「豊あし原の千五百(ちいほ)秋の瑞穂の国は是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たる可き地(くに)なり宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就きて治せ行(さき)くませ 宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと当に天壌(あめつち)と窮(きわまり)無かるべし」との神勅により、瓊瓊杵尊が三種の神器と稲穂を棒持して天降りました。

本宮は高千穂峰と御鉢噴火口との中間の脊門丘に奉斎されていたが、噴火のため炎上、村上天皇の天暦年間(950)に天台宗の僧・性空上人により高千穂河原に再興奉還したと伝わる。

文暦元年(1234)の大噴火でも社殿、僧坊寺が災禍に遭い、文明16年(1484)に島津忠昌公の命で真言宗の僧・兼慶上人が社殿等を再興した。

その後も失火などにより全焼。現在の社殿は島津吉貴公の寄進により正徳5年(1715)に再建された。「西の日光」と称される豪華な本殿の装飾が少しだけ見られた。

神仏分離令までは西御在所霧島権現と称した。本地仏は十一面観音。別当寺は華林寺。霧島山は修験道の地として霧島六所権現信仰の中心地であった。

  

鹿児島神宮、その近所の二宮・蛭児神社から山のほうに向かって、どんどん上がっていく。

時間に余裕があったので、高千穂河原まで8kmなので行けばよかったのだが、さすがに疲れてしまい、早々と鹿児島中央駅に戻り、レンタカーを返すことにした。

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