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2014年2月26日 (水)

金澤神社

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かなざわじんじゃ

創建は寛政6年(1794)。

ご祭神は、菅原道真公、白蛇竜神(金運・災難除の神)、白阿紫稲荷大明神(商売繁盛の神)、琴平大神(交通安全)、前田斉広(なりなが)公(12代藩主)、前田斉泰(なりやす)公(13代藩主)。

加賀藩11代藩主である前田治脩(はるなが)は、兼六園の現在の梅林の地に藩校明倫堂を建て、その鎮守社として金城霊澤のほとりに、菅原道真公の御舎利を奉斉する神社を創建した。

菅原道真公は前田家の先祖でもあるそうで(その真偽は微妙らしい)、道真公を祀っているのだが、でも、金澤天満宮とか金澤天神とは呼ばないのだなあ。

もし、そう呼称していたら、三大天満宮はちょっと無理かもしれないけれど、五大天満宮の位置は確保していたかもしれない。

一方、琴平大神とは大物主神のことである。祀られているなかでは、たぶん、いちばん由緒が古い神様だと思う。どこから勧請したのか。

爾後、兼六園が整備されるにあたり、藩校は他の地に移転したが、神社は12代藩主前田斉広のときに建てられた竹沢御殿の鎮守として、さらに災難除けの神・商売繁盛の神・交通安全を併せ祀り、朝夕兼六園を散策された藩公が領内の平和と繁栄を祈願したという。

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災難除けの神である白蛇竜神の御神体の1体はこの神社に、1体は江戸屋敷にて奥方に代々奉斉されていたが、昭和21年に神社に移された。

毎年10月1日に白蛇竜神のお姿をうつした神札を百体のみ奉製し、藩公から藩士や城下の有力町民に与えられたそうで、市内の旧家には現存するらしい。

商売繁盛の神・白阿紫稲荷大明神は、明治維新後に前田家が東京に移住する際に、その邸内に移されたが、旧藩士の懇願で再び神社に移された。

神社への参拝は明治以前は春秋の例祭のみ、城下の婦子だけが参拝を許され藩公から紋菓をいただいたという。一般の人々が自由に神社を参拝できるようになったのは明治7年5月7日、兼六園が一般公開されてからだそうだ。

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金城霊沢(きんじょうれいたく)。

芋掘藤五郎がこの和泉で砂金を洗ったので、金洗沢(かなあらいのさわ)と呼ばれた。金沢の地名の元になった。芋でなく砂金を掘ってたんだな。

よく神社巡拝に同行する方がこの神社の記念の御朱印帳を持っているのだけど、白蛇云々の意味がようやくわかった。

    

金沢には藩祖前田利家公を祀る尾山神社がある。

利家が慶長4年(1599)に没すると、前田利長はその霊を祀ろうとしたが公然と祀ることは憚られたので、越中国射水郡の式内社物部神社に併祀されていた八幡神を勧請し、金沢城の東に卯辰八幡社を建て、そこに合祀したという。

その後、この神社は荒廃したので、、明治5年(1872)に新たに藩祖を祀る神社を建てる計画がなされ、旧藩臣が集まり、明治6年金沢城の金谷出丸の跡地に新たに建立することとなった。それが尾山神社であり、元の卯辰八幡社は明治11年宇多須神社となっている。

つまり、創建は古い順に、卯辰八幡社(宇多須神社)<金澤神社<尾山神社となる。

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