« 東京大神宮 | トップページ | 荏原神社 »

2014年2月18日 (火)

築土神社

140218_1627

つくどじんじゃ

旧称は津久戸大明神、江戸明神、田安明神と称した。

ご祭神は、主神に天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)、相殿に平将門公、菅原道真公が祀られている。

主神は、高天原から三種の神器(鏡・剣・玉飾)を持って降臨された(天孫降臨)。

平将門公は創建に関わる。天慶3年(940年)6月、関東平定後に藤原秀郷らに討たれて、京都にさらされた平将門公の首を首桶に納め密かに持ち去り、これを武蔵国豊島郡上平河村津久戸(いまの千代田区大手町周辺)の観音堂に祀って、津久戸明神と称したのが始まりだと伝わる。

菅原道真公は、そもそも境内に末社の気津川天満宮があったが、1994年の工事で取り壊された際に、相殿に配祀された。

江戸城築城後の文明10年(1478年)6月には、太田道灌により江戸城の乾(北西)に社殿が造営され、太田家の守護神、そして江戸城の鎮守神として厚く崇敬された。

140218_1626

社宝に将門の首桶(御神体)があったが、戦災で昭和20年に焼失しており、大正年間に東京市史編纂のため特別に撮影された写真が資料に残っていてホームページで公開されている。

この説明によると、首桶は宮司さえ見ることを許されなかったと言う。目が潰れてしまうからだそうである。すごい話である。

『牛込津久戸大明神略縁起』(宝永5年(1708年))には、築土神社本殿の御内陣に、将門の首が死後770年経た当時も朽ち果てること無く安置されていると記されているそうだ。

将門の首がどこに葬られたのかは一種のミステリーで、このお社も先の大戦で焼失してしまったので真相は定かでない。そもそも京都から「密かに持ち去った」のが誰なのかが書いてない。

        

東京大神宮から目白通りに出て、九段下まで歩いていくと、ビルの囲まれた窮屈な空間にお社と社務所がある。

夕方になってしまい、遅いので社務所には挨拶をせずに帰ってきた。薄暗くなってきたので怖いし。

|

« 東京大神宮 | トップページ | 荏原神社 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/37949/61021907

この記事へのトラックバック一覧です: 築土神社:

« 東京大神宮 | トップページ | 荏原神社 »