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2013年5月 4日 (土)

熊野三山 

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熊野三山は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称。仏教的要素が強い。日本全国に約三千社ある熊野神社の総本社である。

熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)。和歌山県田辺市本宮町本宮にある。

式内社(明神大社)、旧官幣大社、現在は神社庁の別表神社。

ご祭神は、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)を主祭神とする。熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉ともいう。

熊野本宮大社の社殿、祭神、本地仏は以下のとおり。

<上四社>

第一殿 西御前 熊野牟須美大神・事解之男神 千手観音

第二殿 中御前 速玉之男神 薬師如来

第三殿 證証殿  家都美御子大神 阿弥陀如来

第四殿 若宮 天照大神 十一面観音

<中四社>

第五殿 禅児宮 忍穂耳命 地蔵菩薩

第六殿 聖宮 瓊々杵尊 龍樹菩薩

第七殿 児宮 彦火火出見尊 如意輪観音

第八殿 子守宮 鵜葺草葺不合命 聖観音

<下四社>

第九殿 一万十万 軻遇突智命 文殊菩薩・普賢菩薩

第十殿 米持金剛 埴山姫命 毘沙門天

第十一殿 飛行夜叉 弥都波能売命 不動明王

第十二殿 勧請十五所 稚産霊命 釈迦如来

明治22年(1889)の熊野川水害により熊野川中洲にあった旧社殿は破損し、上四社のみが現社地に再建された。中四社および下四社の社殿は再建されず、旧社地に2基の石祠が建てられた。

創建は不明。崇神天皇の代(B.C.33年?)とも伝わる。

『熊野権現垂迹縁起』によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。

熊野坐大神(家都美御子大神)は須佐之男命とされるが、その素性は不明。太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。

家都美御子大神について他にも五十猛神や伊邪那美神とする説があり、菊理媛神とも関係する説もあるが、その素性は不詳である。

古代から中世にかけて、ご神職はニギハヤヒの後裔で熊野国造の流れを汲む和田氏が世襲していた。

八咫烏の意匠がかっこいい。サッカーのJリーグのマークにも使われている。

花の窟神社から山の中を走って1時間半かかった。

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熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)。和歌山県新宮市新宮にある。

式内社(大社)。旧官幣大社。現在は神社庁の別表神社。

ご祭神は、熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。

熊野速玉大社の社殿、祭神、本地仏は以下のとおり。

<上四社>

第一殿 結宮 熊野夫須美大神(熊野結大神) 千手観音

第二殿 速玉宮 熊野速玉大神 薬師如来

第三殿 証誠殿 家津美御子大神・国常立尊 阿弥陀如来

第四殿 若宮 天照大神 十一面観音

      神倉宮 高倉下命 (本地仏なし)

<中四社>

第五殿 禅児宮 天忍穂耳尊 地蔵菩薩

第六殿 聖宮 瓊々杵尊 龍樹菩薩

第七殿 児宮 彦火火出見尊 如意輪観音

第八殿 子守宮 鵜葺草葺不合命 聖観音

<下四社>

第九殿 一万宮 国狭槌尊 文殊菩薩

      十万宮 豊斟渟尊 普賢菩薩

第十殿 勧請宮 泥土煮尊 釈迦如来 

第十一殿 飛行宮 大戸道尊 不動明王

第十二殿 米持宮 面足尊 多聞天

創建年代は不詳である。 熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐神とされ、熊野本宮大社では同じ神名で日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)とされる。

また、この速玉之男神の名から神社名がつけられたといわれる。熊野夫須美大神は伊邪那美神とされる。元々は近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。

神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶ。穂積忍麻呂が初めて禰宜に任じられてからは、熊野三党のひとつ・穂積氏(藤白鈴木氏)が代々神職を務めた。

本宮大社から山を駆け下り、新宮市の街中へ。すでに渋滞が始まっていた。

ここは朱の色が抜群によかった。

なぜか弁慶姿の女性が写真撮影のサービスをしていた。

新宮市の方々なのかな。

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熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)。和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある。

旧官幣中社。現在は神社庁の別表神社。

かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと名乗っていた。また、熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現ともいう。

ご祭神は、熊野夫須美大神を主祭神とする。

熊野那智大社の社殿、祭神、本地仏は以下のとおり。

<上五社>

第一殿 瀧宮 大己貴命 (飛瀧権現)千手観音

第二殿 證証殿 家津御子大神、国常立尊 阿弥陀如来

第三殿 中御前 御子速玉大神 薬師如来

第四殿 西御前 熊野夫須美大神 千手観音

第五殿 若宮 天照大神 十一面観音

<中四社・下四社>

第六殿 八社殿 

    禅児宮 忍穂耳尊 地蔵菩薩

    聖宮 瓊々杵尊 龍樹菩薩

    児宮 彦火火出見尊 如意輪観音 

    子守宮 鵜葺草葺不合命 聖観音

    一万宮・十万宮 国狭槌尊、豊斟渟尊 文殊菩薩、普賢菩薩

    米持金剛 泥土煮尊 釈迦如来

    飛行夜叉 大戸道尊 不動明王

    勧請十五所 面足尊 釈迦如来

創建は、創成の詳細は不明。『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』によれば、孝昭天皇の頃にインドから渡来した裸形上人が十二所権現を祀ったとされ、また『熊野略記』では仁徳天皇の頃に鎮座したとも伝えられる。

熊野那智大社は熊野坐神社(本宮)・熊野速玉大社(新宮)の二社とは異なり、山中の那智滝をご神体として神聖視する原始信仰に始まる(のち飛瀧権現)、そのため、社殿が創建されたのは他の二社よりも後である。

一説には、那智山の奥にある妙法山に登るための禊祓の地だった那智滝が聖地化し、夫須美神が勧請されて当社が滝本で創建されたともいわれる。

祭神は熊野夫須美大神であるが事解男命(事解之男神)とする説がある。その熊野夫須美大神は伊邪那美神とされるが、熊野久須毘命とする説もある。

大同元年(806)の『新抄格勅符抄』には天平神護2年(766)に熊野速玉男神(新宮の主神)とともに熊野牟須美神の記述があり、それぞれ神封戸が4戸あてられている。

しかし、その後は貞観元年(859)1月27日、同年5月28日、貞観5年(863)3月2日の速玉神と坐神(本宮の主神)が従五位上に昇階した事に関する『日本三代実録』の記事に牟須美神(ないし夫須美神)の記述がない。

延長5年(927)延喜式神名帳の牟婁郡6座中にも熊野速玉神社、熊野坐神社の二社のみが書かれている。

一方、永観2年(984)の『三宝絵詞』では熊野両所として速玉神とともに当社主神の夫須美神を取り上げている。本宮・新宮と併せて熊野三山とする記述は永保3年(1083)9月4日の『熊野本宮別当三綱大衆等解』が最も早く、これまでには三山共通の三所権現を祀る神社として成立していたと考えられる。また『中右記』の天仁2年(1109)10月27日条の藤原宗忠らの参拝記録から、この頃までに現在の社地に遷祀されていたとされる。

ここは急峻な山の上にあるので、全部見ようとすると結構階段を登らなければならない。

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